○鄭老＝＝鄭所南のことを尊敬していった。
鄭所南==名は思肖、字は所南、一の字は憶翁。宋の連江の人。博学弘詞科に応じたが、たまたま元兵が南下し、宋が亡びて、呉下に隠居し、自ら三外野人と称した。
坐は必ず南向、歳時伏臘には南野を望んで哭し、人の北語をするを聞けば耳を掩うて走った。このように、宋室を思うの念が厚かったのである。蘭を画くを得意としたが、宋が亡びて後は土は画かず、これを無根蘭といった。
ある人がこれを詰めると、 「蕃人 (元をさす) のために奪い去られたからだ。お前は知らないのか」 といった。
気に入らなければ、どんな権力を以ってしても与えなかった。終生妻を娶らず、常に浪遊して定跡がなかった。
病んで没するに臨み、その友唐東嶼に依頼して位牌に書いて貰うのに、 「大宋不忠不孝鄭思肖」 の文字を以ってした。
明の崇禎年間、呉中の承天寺の井戸の中から鉄函に封緘したものが出たが、その著書で、よって鉄函心史と名付けた。崋山の尊敬していた一人である。
○有爲者必有不爲＝＝孟子、離婁下篇に、 「孟子曰はく、人為さざるありて、而る後為す有るべし」 (義として為すべからざることは断固として為さざる士にして、はじめて非常の功業を為し得るものである) とあるにもとづく。
○蘆葉＝＝あしの葉。
○鴎波＝＝趙子昴の家の亭名。よって趙子昴を指す。
趙子昴==名は孟？(モウフ) 、字は子昴、松雪道人と号した。宋の太祖の子秦王�ｺ芳の後であるが、宋が亡びて元に仕え、翰林学承旨に進み、卒して魏国公を贈られ、文敏と諡された。詩文・書画、皆巧みであったが、異朝に仕えたので無節操漢といわれた。 (彼自身も元に仕えたのを後に悔い悲しんだ詩を作っている。)
○無節枝＝＝節のない竹の枝。この句は 「趙子昴のような無節操漢になりたくない」 という意を寓した。

自ら画いた墨絵の竹に題したもので、気節を貴ぶ意を述べた。

「高明の家は鬼が瞰う」 という。崋山の慎機論を読んでみると、大処高処から天下の大局、日本の将来について論じているので、その識見の卓抜している点、憂国の至誠の溢れ出ている点、全く敬服の他はない。 陰険猜忌の鳥居の工作は憎みても餘がある。
この詩は崋山の生涯を貫いた精神の凝集したものとも見られ、崋山が鄭所南に心折していたことは、 「不忠不孝」 の墓表によくあらわれている。
かって椿椿山に手紙を寄せて、 「自分が死んだら、不忠不孝渡辺登墓、と書いてくれ。この事は半香にも話しておいた」 という旨を言い送っている。
いよいよ自殺を覚悟した時も、自ら 「不忠不孝渡辺登」 と書いたことは前述の通り。
その捕えられ下獄した時も、
「あさ縄に かかるうき身は 数ならず　親のなげきを とくよしもがな」、
また死刑の噂を聞いては、
「梓弓 やたけ心の 武夫も　親にひかれて 迷ふ死出かな」
と詠っている。
「藩主三宅土佐守康直が奏者番に任ぜられる筈を、家老の渡辺登が重い罪人となったので沙汰やみとなった」 と風雪をたてる小人の一派があって、親戚の雪吹 (フブキ) 伊織から崋山の耳に入り、 「この上は死んで殿に迷惑のかからぬようにする外ない」 と自刃したという。不忠不孝どころか、全く純忠純孝の士であったのである。

○圖書＝＝書物。
○推裏＝＝推はうずたかく積み上げる。裏はその中。
○托微躬＝＝微躬は小さなからだ。体長約１０ミリ、托は寄托する意。あずける、よせる。
○長＝＝いつまでも、永久に。
○幽人＝＝学者・文人などの読書人、また世を避けて隠れている人をいう。
○消受＝＝享受と同じ。
○風霜文字気＝＝文章の気の強く烈しいのにいう。
○叩頭蟲＝＝米搗 (ツキ) 虫。別名、額突虫 (ヌカヅキムシ) 。

蠧魚を詠んだもの。蠧魚は書物を蝕むシミ。一に銀魚ともいい、紙魚ともいう。銀色をした魚形の、書物を食い荒らす害虫であるのを、かえって叩頭蟲に勝るとして己の意を寓した所に妙味がある。

○夢破＝＝夢から醒めること。
○山村＝＝彦山の中腹、三千八百房のあるところ。
○夜未央＝＝まだ真夜中ではない。
○残燈＝＝夜更けに残った燈火。
○明滅＝＝明るくなったり暗くなったりしていること。まばたいている。
○隔隣墻＝＝墻は垣根。隣の垣根を隔てて。
○法螺＝＝法螺貝の略。
○吹落中峰月＝＝ 「真ん中の峰に輝いている月を真阪様に吹き落としたようだ」 というので、法螺の声が一種凄涼の気を帯びて空高く響き渡ると、月が急に落ちて来たかと思うばかり、その色一段とさえて地上を照らすのをいった。
○雲冷＝＝雲が冷や冷やと三千八百房のあたりをただよい籠める。

彦山は英彦山 (エイヒコサン) ともいう。福島県田川郡添田町と大分県下毛 (シモゲ) 郡山国町にまたがる標高２５００メートルの山。頂きは三峰に分かれ、中岳に英彦山神社があり、古くから加賀の白山、大和の大峰山、出羽の羽黒山と並ぶ山伏の修験道場として栄え、三千八百余房の建ち並ぶ大門前聚落があった。
明治以後は衰微し、房跡は多く水田に変わっている。文化財にも富むが、風景絶佳、耶馬渓・日田とあわせて国立公園に指定されていて、今は登山バスもある。
この詩は作者が山腹の村房に宿して、月夜の壮観を写したものである。

○孤舟＝＝一つの小舟。
○水雲＝＝水と雲。
○古戰場＝＝建安十三年 (208) 魏の曹操は南征し、荊州の劉�jを降し、劉備は夏口に逃れた。そこで兵を江陵に進め、流れを下って呉の孫権を伐とうとした。諸葛亮は呉に使いし、連携してこれに当ろうとし、呉は周瑜に兵三万を授けて先発させた。曹操の軍八十万が、進んで赤壁の下につくと、周瑜は部将黄葢の計を用い、偽り降伏するとみせて、戦艦十艘を最先頭に置き、枯柴燥荻を積み、油を注ぎ、幕をその周囲にめぐらして北軍に近づいた。曹操の軍がその降参するものと油断している隙に、折からの東南風を利用して、これに火を放ったから、北軍は備えを変える暇もなく、人馬の焼溺する者数知れず、曹操は僅かに命からがら身を以って脱出した。曹操の天下統一が実現しなかったのは、実にこの戦いに敗れたためである。
○坡老＝＝東坡をいう。老は尊敬して言う。
○周朗＝＝呉の将周瑜。

宋の大文豪蘇軾 (東坡) が、神宗皇帝の元豊五年 (1082) 七月十六日と十月十五日、赤壁に遊んで、前後赤壁賦二篇を作った。その分は古今にすぐれ、赤壁の戦いで呉の将周瑜が魏の曹操を破った功績も、爾来口にするものがなくなったと、東坡の舟遊の図に題して、その健筆をたたえた。
実は東坡の遊んだ赤壁と、赤壁の戦跡とは別の地であるが、東坡が混同している。

○江月＝＝江水を照らす月
○一色江天＝＝川と天が碧一色をなしていること。
○霜風＝＝霜気を帯びた冷たい風。
○蕭瑟＝＝秋風のさびしい声。
○荻蘆洲＝＝荻や蘆の生えた川の洲。

○蓼花＝＝たでの花。
○半老＝＝半分盛りをすぎて、色あせてしぼんでいる。
○空江＝＝人影のない川。
○澹＝＝しずか。水のゆったりしたさま。
○渡口＝＝渡頭と同じ、わたしば。
○夕照＝＝ゆうひ。
○一雙＝＝一対。一組。
○白鷺＝＝しらさぎ。
○虚舟＝＝人や荷物を乗せていない空の舟。

秋の河原、夕暮れの人なき渡し場の景を写した。

○一碧＝＝一面の緑水。
○琉璃＝＝紫がかった紺色の宝玉。ここは琉璃色をいったもの。
○澹不波＝＝澹はしずか、平らか。不波は波が立たないこと。
○平灣＝＝たいらな灣内、灣は海の入り江。松島を指す。
○點青螺＝＝青螺のような島が点々と散在している事。青螺は青色のにし貝。
○龍燈＝＝海中の燐光が時に燈火もように連なって現れるもの。龍宮の燈火。
○分付＝＝他に物を分け与える事。
○夜色多＝＝この多の字は、 「山色多」 「夜月多」 「夕陽多」 などの例と同じく、用法、濃の字と略同じ。それにひかれ一段と感興を生ずる時にいう。

詩は日本三景の一、奥州松島に遊んで作ったものである。松島は、風光明媚で知られ、近くに多賀城址・瑞巌寺などの名勝古蹟も多く、四季を通じて観光客が訪れる。

○誰家＝＝だれの家。どこ。
○絲竹＝＝絲は琴・三味線・琵琶の類。竹は尺八の類。
○散＝＝拡がって消えてゆく。
○空明＝＝月の光に澄みわたった空。
○孤客＝＝ひとり旅にあるもの。
○皎月＝＝皎は月の白く輝くさま。
○南溟＝＝南冥も同じ。南の海。
○波不駭＝＝海が静かで波の起こらぬこと。波駭は波驚と同じ。

この詩は、作者が安永四年乙未 (1775) 、三十三の夏。門人緒方周蔵を随えて、八月十八日福岡を立ち、九月一日鹿児島着、鹿児島滞在中、十三夜の月を見て作ったものである。そして、二十七日帰途につき、十月十二日帰宅している。この間のことは南遊紀行に詳しい。

○君曹＝＝君たち。曹は、なかま、ともがら。
○士＝＝士君子の意。立派な人。世の指導者たるべき人。また、男子の尊称として用いる。
○剛正＝＝強く正しい事。剛方と同じ。
○斯爲爾＝＝爾は然と同じ。易の陽道が即ち剛正であるの意。
○乃＝＝多く 「そこで」 と訳するが、 「それなのに却って」 と訳することもある。
○近世人＝＝近頃の人。人は男を指す。
○一＝＝まるっきり。まるで。ひとえに。
○？？ (ジジ) ＝＝孜孜 (シシ) と同じ。つとめて倦まないさま。
○當行＝＝当然行うべき仕事。
○須去＝＝去は除き去る。
○妾婦＝＝めかけ、こしもと。或いは広く婦人をいう。
○態＝＝姿態。なりふり。
○會＝＝会得。さとる。

塾生に対して、男児は正大剛健、立志堅確なるべきを諭した詩である。

○玉女峯＝＝姫島をいう。玉女は仙女、姫というのによって玉女といった。
○蛾眉＝＝蚕の蛾の眉。美人の眉をいう。
○明月＝＝ 「明月をおくって君が姿を照らさんと欲すれば」 と解しても通ずる。
○瑤臺＝＝仙人の住む御殿。

大分県東国東 (クニサキ) 郡の姫島の美景を詠んだ。

○皇明＝＝承句と対句にするために皇帝の明�ｺを二つに分けて、皇明・帝�ｺとした。明�ｺの字は、大学に 「大学の道は明徳を明らかにするに在り」 とある。一説に 「皇明は天子の聡明さ」 、或いは 「御陵威 (ミツイ) 」 ともいう。
○光日月＝＝日月のように光り輝く。
○載天地＝＝ 「光日月」 と対句になっているから、 「天地と載す」 と読む。載は覆載の略で、天地の万物を覆載するように広大なのをいう。
○三才＝＝天・地・人の三つ。才は天地人の三つのものの 「はたらき」 である。
○泰昌＝＝泰安隆昌の意。
○萬國＝＝万国といっても、当時の事情から考えて、三韓・肅慎、或いは蝦夷等を含むであろう。
○表臣義＝＝臣下として随順するの意をあらわす。

原題は、 「五言。侍宴。一絶」 とある。天智天皇の近江遷都は六年 (667) 三月で、翌年正月三日、即位の礼を行われた。この詩は即位礼の後、正月七日の饗宴に、皇子が帝�ｺを日月の照臨、天地の覆載に例えて讃揚謳歌されたものという。時に皇子は二十一歳、太政大臣であった。

○銜命＝＝玄宗の命を受けて。
○國＝＝唐の国を指す。
○菲才＝＝菲は薄いこと。才に乏しいこと。
○忝侍臣＝＝天子の側に仕える官吏として恩恵に浴した。侍従。
○天中＝＝天の中央。世界の中央。中国人は自国が天の中央にあり、世界の中心と考えて、中国といった。
○海外＝＝日本を指す。
○慈親＝＝慈愛深い親。
○伏奏＝＝伏して天子に申し上げる。
○違金闕＝＝闕は宮城の正門。黄金で飾った宮門。つまり宮殿。
違は去る、離れる。
○？驂 (ヒサン) ＝＝四頭だての馬車の左右の外側の馬。そえ馬。ここでは馬車の意。
○去玉津＝＝津は船着場。玉は美しい意。明州の港を指す。
去はそこへ向かって行く意。
○蓬莱＝＝東海中にある仙人の住む島。ここは日本を言う。
○若木＝＝桑木に同じ。
○故園＝＝故郷と同じ。
○懐恩日＝＝恩は玄宗の恩。懐はなつかしむ。懐において念念忘れない意がある。
懐恩日は唐を離れる今とも解し得られるが、帰国後の他日と見るべきであろう。
○感義辰＝＝辰は時。この義は唐の友人たちとの交誼であろう。

玄宗の命を受けてその使いとなて帰国するに当り賦したものである。

○州蘆＝＝水辺の蘆
○岸柳＝＝一に 「岸樹」 に作るが、岸柳がよい。
○遠塞情＝＝塞は辺地の要塞。ここは遠く辺地に来たという感情。
○臨水＝＝水は富士川である。
○江雁＝＝江は元来は揚子江。ここでは広く川の意に使った。川に影を落として空を過ぎ行く雁。
○枕山＝＝枕は臨む。
○峡猿＝＝蜀の三峡の猿。ここでは谿谷を渡る猿。

旅愁をうつしたもので、前二句は和漢朗詠集、後二句は新撰朗詠集に載せてある。
朗詠の私注に 「常州下向時、浮嶋原にして宿駅館」 とある。
常陸国 (茨城県) に下る時、今の沼津市付近の浮島が原に宿って作った詩である。

○山居＝＝深山の中に住む。
○西來＝＝梁の武帝の時、達磨は西方のインドから中国に来て禅宗を伝えた。
○祖道＝＝祖師達磨の教え。
○傳東＝＝達磨の布教した中国より、もっと東にある日本に伝える。達磨の志を更に拡大することになる。
○鉤月＝＝ 「鉤」 は一に 「釣」 に作るが、意はほぼ同じ。月下深谿に釣する。
○耕雲＝＝高い山上、雲中に耕作する。鉤月と共に清浄なる生活手段をいう。
○紅塵＝＝浮世の塵。わずらわしい俗事に例える。
○艸庵＝＝草葺のいおり。

深山の中に修法教化する生活を詠じた。

○孤松＝＝一本松。
○三竿＝＝三本の竹。
○招我＝＝我を手招きする。
○時時＝＝暇があればいつでも。 時たまの意ではない。
○倚欄＝＝欄干にもたれる。
○輕煙＝＝軽く上がるもや。煙はここでは靄か霧をいう。
○沙田＝＝川原に近い砂礫の多い田。
○馬牛痩＝＝耕作に使われて骨立した馬や牛。
○鴎鷺�閨＝＝u�閨v とは、のどかなことで、鴎鷺もさらさら警戒の心がないから、のどかに遊んでいるのである。
○自笑＝＝自分でもおかしくなる。
○可休＝＝休は心やすらかにくらす意。
○浮雲出岫＝＝陶淵明の 「帰去来辞」 に 「雲は心なくして岫を出で、鳥は飛ぶに倦んで還るを知る」 とある。岫は山の洞穴。
○幾時＝＝何時とほぼ同じ。

可休亭の眺望を写し、その壁に書き付けた詩。
可休の名は、陶淵明の帰去来辞の 「万物の時を得たるを喜び、吾が生の行くゆく休するを感ず」 によって自ら名付けたものであるが、司空図の 「三宜休」 の故知を学んだものと思われる。

○乾坤＝＝易の二つの卦の名。転じて天地。
○卓＝＝立つ。
○孤？ (コキョウ) ＝＝一本の竹杖。
○喜得＝＝嬉しく思う。常人なら愁える所でも、人も法も悉皆空の真理を悟り得ているからである。
○珍重＝＝物を大切にすること。
○大元＝＝元の忽必烈は国を大元と号した。
○電光＝＝稲光。剣を揮う時、ひらめく光にたとえる。

元の兵に示した偈である。虜は捕虜、転じて敵を罵っていう。ここは元兵を指す。

○人物＝＝人と物。人は史上の人、物は種々の施設・建造物・衣服・乗り物、その他百般の器物。
○頻遷＝＝しばし移り変わる。
○地未磨＝＝土地は磨滅しない。
○六朝＝＝文学史では魏・晋・南北朝を経て随までを概括していうが、ここでは、金陵に都した六つの王朝、即ち呉・東晋・宋・斉・梁陳をいう。
○咸破＝＝ことごとく破滅して亡んだ。
○有山河＝＝山や河は存している。
○金華舊址＝＝紫金山と雨華台。
○商漁宅＝＝商人や漁夫の宅地。
○玉樹残聲＝＝玉樹後庭花の曲
○樵牧歌＝＝樵夫・牧童の歌。
○列壑＝＝いくつも並んだ山の谷間。
○常帶雨＝＝いつも雨を含んでいる。雨模様である。
○當年華麗＝＝ 「当年」 は、そのかみ。 「華麗」 は美人の意に用いる。
○蒼茫＝＝青々として広く遠いさま。

金陵に遊んで昔の事を思うて作った詩。金陵は今の江蘇省江寧府。古蹟の多い所である。

○�阮[＝＝人の住まない空き室。一に 「閑房」 に作る。
○恰＝＝ちょうど。
○枯禪＝＝すべてをうち捨てて坐禅すること。

山寺の壁に書き付けた詩。