ことかん
于 濆
874頃


はな ひら けばちょう えだ
はな しゃ すればちょう また まれ なり
ただ きゅう そうつばめ あり
しゅ じん まず しきもまた かえ
花開蝶枝滿

花謝蝶還稀

惟有舊巣燕

主人貧亦歸

(通 釈)
花が咲くと蝶はその木の枝に群がり集まって来る。
ところが、花が散ってしまうともうその枝には蝶は来ない。
ただ前から巣を作っていた燕だけは、その家の主人が貧乏であっても、去年の古巣を忘れずにまた戻って来る。
(世間の軽薄な人々は、富貴権勢の人のところに群がり集まるが、その人がいったん没落してしまうと、もう見向きもしない。ところが、厚情の人だけは相手が貧困になっても、深い交わりを結んでいる。)

○花==富貴権勢の人のたとえ。
○満枝==軽薄な人々が富貴権勢のの人のもとに群がり集まることのたとえ。
○謝==花の散り落ちるこことで、ここは富貴権勢の人が没落してしまったことのたとえ。


(解 説)
世間の人情の軽薄なさまを風刺した詩。

(鑑 賞)
前半は対句。花と蝶と燕と、自然の物に人の世のさまを見る。さり気ない表現、冷ややかな目、うまいものである。こういう詩は、さり気ないところが大事である。そこに深いものが感ぜられるし、皮肉な味も生きてくる。
テーマーから言えば、杜甫の 「貧交行」 と一類なのだが、 「貧行交」 の場合には、いきなり 「君見ずや・・・」 と大呼する趣があって、真正面から悲憤慷慨している。それはそれで腹の底から出た声としてすばらしい。が、この詩の小味の風はまた違った面白さがあるのである。