李 夫 人
白 居易
「中国古典詩聚花・詠史と詠者」 前野 直彬・監修 市川 桃子 斎藤 茂・著 ヨリ
北方に
佳
(
か
)
人
(
じん
)
有り、
絶世
(
ぜっせい
)
にして独立。
一顧
(
いっこ
)
すれば人の城を傾け、
再
(
さい
)
顧
(
こ
)
すれば人の国を傾く。
寧
(
いずく
)
んぞ
傾城
(
けいじょう
)
と傾国とを知らざらんや。
佳人再びは
得
(
え
)
難
(
がた
)
し。
前漢の武帝
(前156〜78)
に仕えていた
楽人
(
がくじん
)
の
李
(
り
)
延年
(
えんねん
)
が、ある時こう歌うと、武帝は
「この世の中にそんな美しい女性がいるだろうか。」 と
溜息
(
ためいき
)
をついた。
実は、李延年の妹こそが、その、国を傾けるほどの美しい女性だったのである。
それ以来、武帝はこの女性、
李
(
り
)
夫人
(
ふじん
)
を深く愛するようになった。
ただ惜しいことに、李夫人はまだ若くして病気になり、亡くなってしまった。
李夫人は病床に伏していた間、病のやつれを見せることを嫌い、決して武帝に顔を見せようとしなかった。
武帝の胸には美しく
健
(
すこ
)
やかな夫人の面影が残った。武帝は夫人の肖像画を
甘泉宮
(
かんせんきゅう
)
にかけてしのんだが、悲しみはなかなか癒されない。
斉
(
せい
)
の
方士
(
ほうし
)
、
少翁
(
しょうおう
)
が、死者の霊を招くことが出来ると聞いて、宮中に呼んだ。
夜になると、方士は灯りをともし、
帳
(
とばり
)
を設け、酒肉をそなえ、武帝を別の帳の中に待たせた。
やがて遠くに、きれいな女性が現れ、その影が坐ったり静かに歩いたりする。
それは李夫人のようでもあったが、そうではないようにも思われた。
武帝の悲しみはこのためにかえって深まり、詩を作ってこう歌ったという。
是か非か。
立ちてこれを望めば
偏
(
ひとえ
)
に何ぞ
??
(
せんせん
)
として
其
(
そ
)
の
来
(
きた
)
ること遅き
あの人だろうか、そうではないのだろうか。 立ち上がって望み見れば、静かにゆっくりと歩いて、なぜかなかなかこちらに来てくれない。
漢武帝
初哭李夫人
夫人病時不肯別
死後留得生前恩
漢
(
かん
)
の
武
(
ぶ
)
帝
(
てい
)
初めて
李
(
り
)
夫
(
ふ
)
人
(
じん
)
を哭す
夫人病みし時
肯
(
あ
)
えて別れず
死後
留
(
とど
)
め得たり
生前
(
せいぜん
)
の恩
漢の武帝は
李夫人
(
りふじん
)
を亡くしたばかり。李夫人は病んでいた時、やつれた顔を見せまいと、武帝に別れを告げようとしなかったので、死後も、武帝から生前と変わらぬ
寵愛
(
ちょうあい
)
を受けたのであった。
君恩不盡念未已
甘泉殿裏令寫眞
丹青畫出竟何益
不言不笑愁殺人
君恩
(
くんおん
)
尽
(
つ
)
きず
念
(
ねん
)
未
(
いま
)
だ
已
(
や
)
まず
甘泉殿
(
かんせんでん
)
裏
(
り
)
真
(
しん
)
を
写
(
うつ
)
さしむ
丹青
(
たんせい
)
画
(
えが
)
き
出
(
いだ
)
すも
竟
(
つい
)
に
何
(
なん
)
の
益
(
えき
)
ぞ
言わず 笑わず 人を
愁殺
(
しゅうさつ
)
す
武帝の恩愛は尽きず、思慕はやまず、帝は夫人の肖像画をかかせて
甘泉殿
(
かんせんでん
)
に置いた。
しかし、絵の具で描いた
絵姿
(
えすがた
)
が、何の役にたとう。ものも言わずほほえみもせず、それはかえって武帝を悲しませる。
又令方士合靈藥
玉釜煎錬金爐焚
九華帳中夜悄悄
反魂香降夫人魂
又
(
また
)
方
(
ほう
)
士
(
し
)
をして
霊薬
(
れいやく
)
を
合
(
がっ
)
せしめ
玉
(
ぎょく
)
釜
(
ふ
)
に
煎錬
(
せんれん
)
し
金
(
きん
)
炉
(
ろ
)
に
焚
(
た
)
く
九
(
きゅう
)
華
(
か
)
帳
(
ちょう
)
中
(
ちゅう
)
夜
悄悄
(
しょうしょう
)
反魂香
(
はんこんこう
)
は
降
(
くだ
)
す 夫人の
魂
(
こん
)
道士を招い霊薬を
調
(
ととの
)
えさせ、玉の
釜
(
かま
)
で
煎
(
せん
)
じ
練
(
ね
)
り、金の炉で
焚
(
た
)
きあげた。
美しいとばりの中、夜も静かにふけるころ、死者を呼ぶ
香
(
こう
)
は、夫人の
魂
(
たましい
)
を招き寄せる。
夫人之魂在何許
香烟引到焚香處
既來何苦不須臾
縹緲悠楊還滅去
去何速兮來何遅
是耶非耶兩不知
翠蛾髣髴平生貌
不似昭陽寝疾時
夫人の
魂
(
こん
)
何許
(
いずこ
)
にか
在
(
あ
)
る
香烟
(
こうえん
)
引き到る
焚香
(
ふんこう
)
の
處
(
ところ
)
既
(
すで
)
に
来
(
きた
)
る 何を苦しみて
須
(
しゅ
)
臾
(
ゆ
)
せざる
縹緲
(
ひょうびょう
)
悠楊
(
ゆうよう
)
として
還
(
また
)
た
滅
(
めっ
)
し去る
去ること
何
(
なん
)
ぞ
速
(
すみ
)
やかに
来
(
きた
)
ること何ぞ
遅
(
おそ
)
き
是
(
ぜ
)
か
非
(
ひ
)
か
兩
(
ふたつ
)
ながら知らず
翠
(
すい
)
蛾
(
が
)
髣髴
(
ほうふつ
)
たり
平生
(
へいぜい
)
の
貌
(
ぼう
)
昭陽
(
しょうよう
)
に
疾
(
やまい
)
に
寝
(
い
)
ねし
時
(
とき
)
に
似
(
に
)
ず
夫人の魂はどこに。それは
香
(
こう
)
の煙に導かれ、香の
焚
(
た
)
かれている所にやって来た。
この世に
降
(
お
)
りて来たのに、何がつらくて
束
(
つか
)
の間も止まらぬのか。はるかかなたにぼうっとかすんでまた消えていく。
消え去ることの何と速いことか。 やって来ることの何と遅かったことか。
あの人だったろうか、そうではなかったろうか。 どちらともわからない。
美しい
眉
(
まゆ
)
は病む前のふだんの様子に似て、後宮に
臥
(
ふ
)
していたころのようではなかった。
魂之不來君心苦
魂之來兮君亦悲
背燈隔帳不得語
安用暫來還見違
魂
(
こん
)
の
来
(
きた
)
らざらんや
君
(
きみ
)
の
心
(
こころ
)
苦
(
くる
)
しみ
魂の
来
(
きた
)
るや
君亦悲
(
きみまたかな
)
しむ
灯
(
とう
)
に
背
(
そむ
)
き
帳
(
ちょう
)
を
隔
(
へだ
)
てて語るを
得
(
え
)
ず
安
(
いずく
)
んぞ
暫
(
しばら
)
く
来
(
きた
)
たりて
還
(
ま
)
た
違
(
さ
)
ら
見
(
ゐ
)
るを
用
(
もち
)
いん
夫人の魂が帰って来る前も天子の心は苦しみ、夫人の魂が帰って来たあとも天子の心は苦しむ。
灯
(
ともしび
)
を背に、
帳
(
とばり
)
を隔てて、語りあうこともできなかった。わずかの間やってきても、また帰ってしまうのならば、何もならないではないか。
傷心不獨漢武帝
自古及今皆若斯
君不見穆王三日哭
重壁臺前傷盛姫
又不見泰陵一掬涙
馬嵬路上念楊妃
縦令妍姿艶質化爲士
此恨長在無鎖期
心を
傷
(
いた
)
ましむるは独り漢の武帝のみならず
古
(
いにしえ
)
より今に及ぶ
皆
(
みな
)
斯
(
かく
)
くの如し
君
(
きみ
)
見
(
み
)
ずや
穆王
(
ぽくおう
)
三日哭
(
さんじつこく
)
し
重壁
(
ちょうへき
)
臺前
(
だいぜん
)
に
盛
(
せい
)
姫
(
き
)
を
痛
(
いた
)
みしを
又見ずや
泰陵
(
たいりょう
)
一掬
(
いっきく
)
の
涙
(
なみだ
)
馬
(
ば
)
嵬
(
かい
)
路
(
ろ
)
上
(
じょう
)
に
楊
(
よう
)
妃
(
ひ
)
を
念
(
おも
)
うを
縦
(
たと
)
令
(
い
)
妍
(
けん
)
姿
(
し
)
艶質
(
えんしつ
)
の
化
(
か
)
して
土
(
ど
)
と
為
(
な
)
るも
此
(
こ
)
の
恨
(
うら
)
み
長
(
とこしえ
)
に
在
(
あ
)
りて
鎖
(
さ
)
ゆる
期
(
とき
)
無
(
な
)
からん
こうして心を痛めた者は、漢の武帝ばかりではなかった。昔から今に到るまで誰もみなそうであった。
君は知っているだろう。
穆王
(
ぽくおう
)
が三日の間、
重壁台
(
ちょうへきだい
)
の前で
盛姫
(
せいき
)
の死を悲しんだことを。
また知っているだろう。
玄宗
(
げんそう
)
が両手にいっぱいの涙を流し、
馬嵬
(
ばかい
)
の路上で
楊貴妃
(
ようきひ
)
をしのんで泣いたことを。
たとえ彼女たちの美しい姿、あでやかな肉体が土となってしまおうとも、恋人を思う悲しみは永遠に尽きる時がないであろう。
生亦惑
死亦惑
尤物惑人忘不得
人非木石皆有情
不如不遇傾城色
生
(
せい
)
にも
亦
(
また
)
惑
(
まど
)
い
死
(
し
)
にも
亦
(
また
)
惑
(
まど
)
う
尤物
(
ゆうぶつ
)
人を
惑
(
まど
)
わして
忘
(
わす
)
れ
得
(
え
)
ず
人は
木石
(
ぼくせき
)
に
非
(
あら
)
ず
皆
(
みな
)
情
(
じょう
)
有
(
あ
)
り
傾城
(
けいせい
)
の
色
(
いろ
)
に
遇
(
あ
)
わざるに
如
(
し
)
かず
生きている時にも惑い、死んでのちもまた惑う。
美しい女性は人を惑わして、決して忘れてしまうことはできない。
人は木でも石でもなく、皆情を持っている・だから、城をも傾けるような女性の美には、めぐりあわぬがよい。
甘泉殿
(
かんせんでん
)
=
甘泉山 (今の陝西省淳化県の西北) にあった宮殿。もと秦の離宮であったが、漢の武帝が増築した。
写真=
人の姿を写す。肖像画。
愁殺
(
しゅうさつ
)
=
嘆き悲しませる。
丹青
(
たんせい
)
=
赤と青の絵の具。絵画。
方士=
仙術を行う人。道士。
九華帳
(
きゅうかちょう
)
=
様々な花の模様を散らした美しいとばり。
反魂香
(
はんこんこう
)
=
煙の中に死者の姿が現れるという香料の名。
須臾
(
しゆゆ
)
=
わずかの間。
縹緲
(
ひょうびょう
)
=
遠くかすかに見える様。
悠楊
(
ゆうよう
)
=
遥かかなたにある様。あるいは悠揚につくる。
翠蛾
(
すいが
)
=
美しい眉。
髣髴
(
ほうふつ
)
=
似ている。
平生貌
(
へいせいぼう
)
=
ふだんの容貌
昭陽=
後宮の別名。漢の成帝の時、趙皇后が居した宮殿の名による。
穆王
(
ぼくおう
)
=
周の第五代の王。中国最古の小説 『
穆天子伝
(
ぼくてんしでん
)
』 に、穆王が八
駿馬
(
しゅんば
)
という仙馬を得て西遊する話が記されている。
西遊の途上、穆天子は
盛栢
(
せいはく
)
の子、盛妃を知り、
璧
(
たま
)
が積み重なっているように見える
重璧
(
ちょうへき
)
台を築いて遊んだ。ある時、東方の沢に行って遊んでいると、盛妃が
寒疾
(
かぜ
)
にかかった。天子は
漿
(
しょう
)
(のみもの) を与えたりしたが、重壁臺に帰って来たとき、盛妃はまた病気を訴え、ついに亡くなった。天子は悲しんで
哭
(
こく
)
し、周囲の者もみな哭して、皇后の葬法に準じて楽地の南に葬ったという。
白居易
(
はくきょい
)
は 「
新楽府
(
しんがふ
)
」 の 「八駿図」 の篇で、
穆王
(
ぼくおう
)
の西遊を批判している。
泰陵
(
たいりょう
)
=
唐の
玄宗
(
げんそう
)
皇帝のこと。
金粟山
(
きんぞくさん
)
にある玄宗の陵を泰陵と呼ぶところによる。
馬嵬路上念楊妃=
天宝十五
載
(
さい
)
(756)
安史
(
あんし
)
の乱で長安を追われた玄宗が
蜀
(
しょく
)
に向かう途中、
馬嵬
(
ばかい
)
で兵士達に迫られ、
寵愛
(
ちょうあい
)
していた楊貴妃を絞殺した故事による。玄宗はその後長く楊貴妃を追慕したという。
妍
(
けん
)
姿
(
し
)
=
美しい姿
艶質
(
えんしつ
)
=
生まれつきの艶麗な姿体。
尤物
(
ゆうぶつ
)
=
絶世の美女。
「
新楽府
(
しんがふ
)
」 は、
白居易
(
はくきょい
)
が三十歳のころに書いた五十首の連作の
諷諭詩
(
ふうゆし
)
であり、全ての作品の中でも作者が最も誇りとした代表作である。長篇の力作がそろっている。
諷諭詩とは、ひとことで言えば社会批判の作品であり、当世の政策への批判、
為政者
(
いせいしゃ
)
への批判、人の生き方への批判などが、あるいは率直に、あるいはそれとわからぬよう
比喩
(
ひゆ
)
を使って語られる。
この作品 「
李
(
り
)
夫人
(
ふじん
)
」 も、無論その諷諭詩の一つであり、そしてまた、漢の武帝と李夫人という歴史的人物を詠じている点で、やはり詠史詩でもある。
詠史詩とは、もともとそういう、諷喩、つまり社会批判の性格を持つことが多い分野なのである。
この作品の諷意は、最後の五句に集約される。
生
(
せい
)
にも
亦
(
また
)
惑
(
まど
)
い
死
(
し
)
にも
亦
(
また
)
惑
(
まど
)
う
尤物
(
ゆうぶつ
)
人を
惑
(
まど
)
わして
忘
(
わす
)
れ
得
(
え
)
ず
人は
木石
(
ぼくせき
)
に
非
(
あら
)
ず
皆
(
みな
)
情
(
じょう
)
有
(
あ
)
り
傾城
(
けいせい
)
の
色
(
いろ
)
に
遇
(
あ
)
わざるに
如
(
し
)
かず
木石でない人の情けはもろく傷つきやすい。一度心を奪われたならば、苦しみ悲しむばかりで、自分ではどうすることもできない。ことに、この上なく優れた女性に心を奪われたときは。
だから、美しい人には会わない方が幸せだ、美しい人の前は目をそむけて通り過ぎよ、と作者は結ぶのである。
歴代の天子の中には、女性に
溺
(
おぼ
)
れて政治をないがしろにし、そのことを強く批判されているものも多い。
女性に気をとられて政治を怠ることなど、儒教社会では特に、許されることではなかった。
「
嬖惑
(
へいわく
)
に
鑒
(
かんが
)
みるなり (
寵愛
(
ちょうあい
)
する女性に心を奪われた漢の武帝を
鑑
(
かがみ
)
として、後世の天子を
諫
(
いまし
)
める) 」
という小序を見ると、この 「李夫人」 詩の意図もそこにあるらしく思われる。
しかし、作品の本文の中には、武帝が政治を怠ったという点からの批判は全くない。作者はむしろ、李夫人を慕って
哀
(
かな
)
しむ武帝に同情を寄せているようでさえある。
この作品の中で取り戻す
術
(
すべ
)
のない恋から抜け出せないでいる天子の心理描写は出色である。
武帝は、失った李夫人の面影を偲ぶよすがにしようと、彼女の肖像画を描かせる。しかし、
丹青
(
たんせい
)
画
(
えが
)
き
出
(
いだ
)
すも
竟
(
つい
)
に
何
(
なん
)
の
益
(
えき
)
ぞ
言わず 笑わず 人を
愁殺
(
しゅうさつ
)
す
語りかけても、笑いかけても、絵の中の女性はあらぬかたを見て取り澄ましているばかり。
その空しさ、寂しさに、武帝の心はますます悲しみを増すばかりであった。
死者の霊を呼び戻すという
方士
(
ほうし
)
の
噂
(
うわさ
)
を聞いて、武帝は心が踊ったことだろう。
魂を呼び戻せば、
形骸
(
けいがい
)
ばかりの肖像画と違って、それは
微笑
(
ほほえ
)
みもしよう、話もしよう。
生前と同じようにかき抱くこともできるかも知れぬ。
武帝は半信半疑ながら、期待に満ちてその時を待ったに違いない。
方士は様々な薬を混ぜ合わせ、それを
煎
(
せん
)
じ、
練
(
ね
)
り、
焚
(
た
)
き、複雑な手順を踏み、長い時間かかって準備を整え、いよいよ彼女の魂が降りて来た。
夫人の
魂
(
こん
)
何許
(
いずこ
)
にか
在
(
あ
)
る
香烟
(
こうえん
)
引き到る
焚香
(
ふんこう
)
の
處
(
ところ
)
既
(
すで
)
に
来
(
きた
)
る 何を苦しみて
須
(
しゅ
)
臾
(
ゆ
)
せざる
縹緲
(
ひょうびょう
)
悠楊
(
ゆうよう
)
として
還
(
また
)
た
滅
(
めっ
)
し去る
武帝はカーテンを隔てて見ることしか許されなかった。
馨
(
かぐわ
)
しい
香
(
こう
)
の煙の流れていく先に、女性の影が見えた。
しかし、その影は、武帝に
微笑
(
ほほえ
)
みかけることもなく、声をかけようともせず、たちなちに消えてしまったのである。
「何を苦しみて・・・・・」 いったいなぜ、あれほど愛し合っていたのに、いったいなぜこうもそっけなく消えてしまったのだろうか。
去ること
何
(
なん
)
ぞ
速
(
すみ
)
やかに
来
(
きた
)
ること何ぞ
遅
(
おそ
)
き
是
(
ぜ
)
か
非
(
ひ
)
か
兩
(
ふたつ
)
ながら知らず
翠
(
すい
)
蛾
(
が
)
髣髴
(
ほうふつ
)
たり
平生
(
へいぜい
)
の
貌
(
ぼう
)
昭陽
(
しょうよう
)
に
疾
(
やまい
)
に
寝
(
い
)
ねし
時
(
とき
)
に
似
(
に
)
ず
本当にあの人なのだろうか、そうではないのだとうか。
この作品のクライマックスは、武帝が李夫人の魂を見て、「
是耶
(
ぜか
)
!
非耶
(
ひか
)
」 と苦しむ情景であろう。
立ち上がり、首を伸ばして、それでも一瞬の内に、
「病気でやつれていたころのようではない。まだ元気だったころのあの人に似ているようだ」
と、亡き人の
面影
(
おもかげ
)
を必死に捜そうとするのである。
じりじりと長い間待っていた対面は、こうして
瞬
(
またた
)
く間に終わってしまった。
信じ切ることもできない、否定し去ることもできない、この時の武帝の落胆と苦痛はいかばかりであっただろう。
社会批判の詩でありながら、この作品には全体に甘い感傷が流れている。それは、作者自身が、まだ恋多い若い年代に属していたためであろうか。
なおこの 「李夫人」 詩では、方士が呼んだ夫人の霊は、
捕
(
と
)
らえどころのないおぼろなものであったが、白居易の長篇の 「
長恨歌
(
ちょうごんか
)
」 では、
玄宗
(
げんそう
)
が方士の助けによって、愛する
楊貴妃
(
ようきひ
)
を仙界に尋ね当てる、という趣向になっている。
「長恨歌」 は 「
新楽府
(
しんがふ
)
」 に先立って書かれた作品ではあるが、その構想の下敷きには、この、武帝と李夫人のエピソードがあると思われる。