「誰
ぞ、人はないのか。かくも東国武者が、面おもて
を並べながら、あの扇一つ、射て見せんとするほどな者もいないのか。敵に嘲わら
われんも口惜くちお し、われと思わん者は、名乗って出よ」 義経は、かさねて、味方の上へ、大きな声で言った。 感情の子、義経である。この大将の姿には、よくもあしくも、そのもちまえのものが、内から染め出すほど、満身の色に出ることがある。 「ないのか」 全軍、唖おし
のようだった。寂せき として、声もない甲冑かっちゅう
の光ばかりをながめて、語気はばお、激越の度ど
を加え、 「あれ見よ、あの小舟を。源氏には人もなきやといわぬばかり、憎げなる老武者めが、これ射ぬかぬかと、なお身振りして喚わめ
いておるぞ。── 敵に嬲なぶ
られつつ、よそ眼に過ごす慣いは東国武者のあいだにはないこと」 と、叱咤しった
し、 「弓矢の武門、たとえ難事たるにせよ、弓矢にかけてのことに、怯ひる
みをみせて、なんの武者ぞ。── 源氏の軍勢こそは、屋島の戦いに勝ったれど、扇の的には、後ろを見せたりと聞こえては、名折れなれ。ひいては、鎌倉殿の武者所には、人もなしと、世にあなすられん。──
平治以来、東国の野に伏して、二十年の鍛錬は、なんのためにしてぞ」 と、わざとののしった。 すると、後ろの方で、たれかが馬をとび降りた。ざっと、草摺くさずり
の音が、その者の体をつつみ、その姿は小走りに、義経の駒こま
わきへ来て、ひざまずいた。 「人を措お
いて、おこがましゅうは存じますが、その仰せつけ、そらがしへ、おくだし給わりませ。いたしまする。きっと、いたしてみせまする」 「・・・・や、大八郎か」 「は。──
広言を吐くようですが、幼きより、いささか、弓は習うてまいりましたし、故郷ふるさと
では、弓の那須よ、弓の家よ、といわるる中に、生い育って来た身でもありまする。射ても、射損じても、一代の身の晴れ事。もし、仕損じたら、香取かとり
の神にも見離されたるわが弓の道、生きて、この汀なぎさ
には戻りますまい」 と、一命を賭と
している容子ようす が、眉にも、観み
て取れた。 それは、那須大八郎だった。 ── 彼を前に、義経はすぐ思い出していた。 十年前、この大八郎と、兄の余一とが乗っていた舟に助けられて、坂東ばんどう
の大河、大利根おおとね の流れを越えたあの日のことを
── だった。 由来、那須兄弟は、年々の香取ノ宮の奉射祭ぶしゃまつ
りには、競射をかねた参拝を欠かしたことがなく、故郷の下野国しもつけのくに
から兄弟そろって出かけて行き、東国中の弓自慢が集まる晴れの競射でも、名誉を取り損じたことは内。 「── 那須は弓の家」 とさえ、当時すでに、あの地方では言われていたものだった。 「おう。・・・・名のり出でしか、大八」 過去の記憶にも、ふと、くるまれながら、義経はニコとうなずいた。
「よくぞ」 という満足と同時に 「── 大八ならば」 と、期待をかけたにもちがいない。 ところが、彼の言葉もないうち、またも一人の武者が、大八郎のそばへ駆け寄って来、ともに手をつかえて、 「その儀は、この余一宗高にお命じください。弟大八の功を奪うやに似ましょうが、今日昨日の戦場にて、弟の矢すじも見るところ、弓勢ゆんぜい
こそ人に劣らぬものはあれ、なお、心もとないものがありまする。── 波上はじょう
の小舟、風にすらゆるあの扇の的まと
、しかも、海へ馬を乗り入れて射ねばなりませぬ。なんで、矢力やぢから
のみにて射い あてられましょう。──
余一が仕ります。何とぞ、それがしへ」 と、弟を庇かば
う真情は内に隠して、ただその自信のみを、眸に誇って、義経へ言った。 |