すると、その直後だった。 平家方の船陣から、幾艘かの兵船が、盲目的に、近くの浜へ漕
ぎつけて来た。 おそらく、これは、ともども、敵の妙技を称たた
え、舷ふなべり をたたいて興じていたのに、とつぜん源氏の無残な矢が、小舟の上で舞っていた十郎兵衛家員いえかず
を射殺したので 「── あな無慈悲、心なき源氏のやつ輩ばら
」 と怒った平家の侍が、上将の命も待たず、捨て身でやって来たものに違いない。 だから、まま見る平家武者とはちがい、 「眼にもの見せんず」 とする血相も、そこの兵船から、わらわらと跳び上がって走って来る猪突ちょとつ
ぶりも、おそろしく勇敢な者たちだった。 楯を持った五、六兵。長柄、薙刀なぎなた
を打ち振ってくる数名、強弓をつがえたまま、ひた走りに向かって来るただ一人いちにん
。── 口々に源氏をののしって、つむじのように、荒れまわった。 もちろん、それだけではない。後から後から、同様な猛兵が、幾組も続いて来る。 「さても、すさまじき敵」 義経のいる辺りまで、そこの雪崩なだれ
が打って来た。義経は、 「油断すな」 と、構えて、 「敵に正しい用意はない。ただ逸はや
り気の猪いのしし 武者ぞ。腕強うでづよ
なるわが若党ども、駈け合わせて、あれ蹴散けち
らせ」 と、いいつけた。 彼はわざと 「若党ども」 と命じたのは、盲突して来た敵の男どもも、大将格以下の侍にすぎないと見たからであろう。事実、こんな時でもなければ、それらの無名な侍組は、めったに君前で晴れの名乗りをあげる機会はない。 「ござんなれ、平家の雑魚ざこ
ども」 と、一番に駆け出した若者は、 「── 武蔵国むさしのくに
比企ひき の住人、水尾谷みおのや
十郎じゅうろう 」 と、おめきながら、太刀をかざして、敵の楯たて
二、三枚を馬で蹴散けち らした。 つづいて、聞こえる声々には、 「上野国こうずけのくに
の住人、丹生にぶの 四郎しろう
」 「信濃の住人、木曾きその
中次」 「水尾谷みのおや
十郎が弟四郎。おなじく藤七」 など、いずれも、東北なまりを持った、そして血気盛んな、若者ばかりだった。 だからこの一戦は ── 一戦ともいえないほどのものだったが
── 物凄ものすご い力闘が相互の間にまき起こされ、撲る、組む、蹴る、突く、真ま
っ向こう を割る、上になり下になるなど、まるで真っ黒な小旋風が地を転ころ
がって行くようだった。 |