ただ旅順におけるステッセルが、きわめて良質な処置をとったひとつは、コンドラチェンコ少将をその片腕に選んだことであった。 彼は開戦早々、 「君はいつも私のそばにいてくれることをのぞむ」 と、コンドラチェンコに命じた。 といって、同少将はステッセルの参謀長ではない。参謀長は、ロズナトーフスキーという温和な軍人である。それにドミトリエーフスキー中佐という、頭のいい、創造力にやや欠けるにしても処理能力のすぐれた参謀もいた。 「旅順の英雄」 と、攻撃側の日本軍主脳からもそう見られていたロマン・イシドーロヴィッチ・コンドラチェンコ少将は、東部シベリア狙撃兵第七師団長として第一線の指揮者であった。 それをステッセルは信頼し、幕僚でないのに相談相手にし、とくに開戦後、砲台を増給するに当って、広大な権限を与えている。旅順要塞の原型はコンドラチェンコが作ったのではないにしても、開戦後、それを大完成させたのは、この人物であった。 彼は工兵科出身の将軍であった。工科大学も出ていて、築城はお手のものであった。 が、コンドラチェンコは、工兵科出身の将軍にしては歩兵と砲兵に精通し、そしてなによりも独創性に富んだ作戦家であった。 作戦家といわれる人びとは、第一線の猛将たりえない場合が多いが、コンドラチェンコは渾身
が第一線の砲火の中で士卒をまとめて死地におもむかしめる軍人として出来上がっており、このため彼は常に前線にいた。 ステッセルは重要な問題にぶつかると、参謀長を前線へ走らせて、コンドラチェンコの意見を聞かせた。このコンドラチェンコを信頼する姿勢においては、ステッセルは決して我が
の強い将軍ではなかった。 ひとつには、コンドラチェンコ自身の性格にもよるであろう。彼はステッセルのサロンでは、つねに控え目で、無口であった。人に話しかけられればつねに微笑し、話題が軍事以外のことなら、 「どうぞ、よろしいように」 と、人に譲るところがあった。そういう点が、ステッセルに気に入られたし、それ以上に、大切なことは、ステッセルさえつねに一目おいている旅順の社交界の女主人公であるステッセル夫人、ウェラ・アラクセーエヴァナにも気に入られているということであった。このヴェラという女性はステッセルの作戦命令を時々チェックするとさえ評判されており、彼女にもし嫌われるようなことがあれば、あるいは軍事行動にもさしつかえが出来るかも知れなかった。 この旅順陸軍にあっては、ステッセルの次に位置している階級のもちぬしが、陸軍少将であるフォークであった。 フォークは幕僚ではなく、コンドラチェンコと同様、師団長であった。東部シベリア狙撃兵第四師団を指揮している。 この痩せた長身の軍人は、ロシア軍人に共通した病気ともいうべき嫉妬心が強く、同僚のコンドラチェンコをひどくきらい、コンドラチェンコの悪口となると、師団を指揮するよりははるかに情熱的になった。彼はステッセルにも、その夫人にも事あるごとにコンドラチェンコの悪口を言った。このフォークの第四師団と、コンドラチェンコの第七師団とは、せまい要塞の戦線の中で当然協同しあうべきであったが、フォークから常にそれお拒んだ。フォークは消極的な性格で、このため積極的なコンドラチェンコに領域を侵されるのではないかということで、神経をつねに張りつめさせていた。
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