ここでついでながら、 「旅順要塞司令官」 というのは、かつてのステッセルの職である。ステッセルは開戦後、関東州防衛総督という広い戦域の指揮権を与えられたため、旅順要塞司令官には、スミルノフ中将が就任した。 このスミルノフが、 ──
旅順開城には反対である。 という以上、ステッセルはその上級職であるとはいえ、無視できない。 さらにこのスミルノフ発言に対し、ゴルバトフスキー少将や海軍のウィーレン少将など多くの者が同調したため、参謀長のレイス大佐は孤立した。 スミルノフは言う。 「まだ戦える。野戦陣地を捨てて防衛正面をちぢめてしまえば、少数の兵をもって十分に防御できる。具体的に言えば第一線の旧囲壁の防御に全力をそそぐのだ。それでもって敵に犠牲を強いつつ、逐次後方防衛線に退却してゆけばよい」
それが、要塞防御戦の常道であろう。卓をたたいてスミルノフに賛成する者もあった。 レイスは、いよいよ孤立した。 ステッセルは本来ならこの腹心の参謀長を救うべきであろう。彼自身の本音である降伏をここで打ち出すべきであった。 が、ステッセルは空気が悪いと見た。一座のほとんどが戦闘続行をつよく主張しているときに、主将たるステッセルが降伏をもちだせば今後の進級に影響するばかりか、軍法会議の法廷に引きずり出されぬともかぎらない。。 (これはまずい) と、ステッセルには思えた。レイスの発言は軍事用語で言う探索射撃であった。向こうの藪
に敵がいるかどうかを知ろうとするとき、弾丸を射ちこんでみれば分かる。敵がいれば応射してくるし、いなければ藪は沈黙している。要するにステッセルは、結果的にはレイスを使って探索射撃をしたようなものである。藪は、応射してきた。つまりステッセルは自分の部下が、自分が考えれいたよりもはるかに闘志に満ちた連中であることを知った。ステッセルにすれば、もしここで自分が降伏を持ち出せば、軍事官僚としての彼は没落せざるを得ないであろう。 ステッセルは、レイスを捨てた。 「私は戦う」 と、結論をくだしたのである。 「私はスミルノフ中将に賛成する。すなわち極力第一線を防御し、やむを得ない状況に立ちいたれば第二線に後退し、ここにおいて最後の抵抗をしたい。神の加護のあらんことを」 方針はそれに一決した。 このときゴルバトフスキー少将が立ちあがり、 「この会議中にも、戦況は進んでいます。日本軍は昨夜二竜山堡塁を手に入れましたが、報告によりますと、日本軍はあの堡塁を改造して旅順市街に砲口を向けるべく工事中ということであります。この工事を、砲兵をあげて妨害すべきだと思います」 「ベールイ君の仕事だ。すぐそのように前線へ命じたまえ」 と、ステッセルは要塞砲兵部長のベールイ少将に命じた。
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