「望台」 と呼ばれている一八五メートルの高地はロシア側のいう第二防御線のひとつで、地形上旅順要塞のカナメをなし、その名の通りそれへ登れば旅順は新旧両市街から港内まで一望で見下ろすことが出来る。日本側としても、ロシア側がこの望台を守るためにはおそらく死力を尽くして奮戦するであろうと見ていた。 日本側は、善通寺の第十一師団が担当した。 「元日を期して望台を攻撃すべし」 という軍命令が第十一師団に対して出ており、同師団は十二月三十一日からその準備をすすめた。 が、望台のまわりの多数の砲台はなおいささかの衰えも見せずに活動しており、それらを攻撃中の日本軍の各部隊の損害は大きく、三十日から三十一日にかけての戦況は一進一退した。 たとえば盤竜山東堡塁南方にある旧囲壁は日本軍によって爆破され、占領されたが、そのまわりのロシア軍陣地は依然強靭であり、日本軍の占領部隊に対し銃砲火を集中して衰える様子もない。 これらの防戦の指揮をとりつづけているのはゴルバトフスキー少将であった。 ところが同少将よりも上級職であるフォーク少将はこの抵抗は無用であると思い、ステッセルに対し、見方の苦戦を過大に報告し、 「これ以上、この方面を死守するのは無駄であります。もはや陣地を捨てて兵を第二防御線まで引き下げるべき時であります」 と、電話で退却の許可を乞うた。 ステッセルは即座に、 「同意」 と返答した。 が、この場合、重大なことはステッセルもフォークも命令系統を無視していたことであった。本来、フォークは要塞司令官のスミルノフ中将の意志を問うべきであった。ところがスミルノフは頑強な抵抗論者であるため、フォークはそれを忌避し、一段階とびこえて総帥のステッセルの判断を乞うたのである。 退却と決まるや、フォークは要塞司令官スミルノフに電話で通報した。 「君は冗談を言っているのか」 スミルノフは殺気立った。 「退却するかどうかは私が判断すべきことだ。君はたれの命令を受けたのだ」 というと、フォークはさすがにステッセルの名前は持ち出しにくく、 「じつはゴルバトフスキー少将の請求によるものだ」 と、うそをついた。ゴルバトフスキーは東正面の弾雨の中にあって一歩も退くことなく果敢な防戦を続けている最中であり、そういう請求はしていない。スミルノフはその真偽を確かめるためゴルバトフスキーを電話口に呼び出した。ゴルバトフスキーは、 「それは陰謀です。われわれは陰謀に与
することなく皇帝の軍人足るべき義務を尽くすのみです」 と、戦闘を継続した。ステッセルとフォークの威信はこの時期にはあきらかに薄れてしまっている。 |