室内だが、暖炉の火がおとろえ、温度は零度にちかい。白井中佐は外套を肩にかけ、書状を石油ランプの下に持って行って、ひろげた。 英文である。 最初に目に入った文字は、 「capitulatoin
(降伏)」 という言葉であった。白井中佐はわっと叫びをあげたいほどの衝動をかろうじておさえ、気持を落着かせて通読ろようとした。しかし彼は専攻がフランス語であったため、英文を読むのがどうも骨で、骨である以上に、今のこの気分で不馴れな外国語を読むことはどうやら不可能に近い。 白井中佐はその書状を持って、参謀長意地知幸介のドアをたたいた。 「入れ」 という声より早く、白井はもう伊地知の前に立っていた。 「これを」 と、白井は書状を渡した。まずいことに伊地知はドイツ留学が長く、ドイツ語には堪能であったが、英文には目が馴れていない。 「降する、ちゅうのか」 と伊地知は感動をおさえつつ、しかし小声で、しかしながら目だけは狙撃するように鋭く白井中佐を見すえた。 「この文字は英語ではどう発音致しますか、仏語にありましてはカピツュラシオンであります」 と、その単語を指した。 「──
心得た」 伊地知は、乃木の部屋のドアをたたき、さらに乃木軍司令部付の有賀長雄の部屋のドアをったいた。みな、出て来た。それらが、伊地知幸介の部屋に集まった。 有賀長雄は、万延元
(一八六〇) 年の生まれである。国際法の権威として知られているが、東京大学では文学部で史学をまなび、法学博士のほかに、のち文学博士の称号ももった。法律はウィーンでまなび、とくに戦時国際法にあかるい。 この有賀長雄を、乃木軍司令部付の文官として外征軍に参加させたところに、この当時の日本政府の戦争遂行感覚の特徴があるであろう。日本政府は明治初年以来、不平等条約の改正について苦心を払って来たが、そのためにはなによりも国際法を守るということについて優等生になろうとした。このたびの対露戦においても、 ──
国際法にもとるようなことがいささかでもあってはならない。 として、軍司令官たちに大本営は入念に訓令している。有賀長雄が、乃木の国際法の幕僚としてつけられてのは、そのためであった。 ついでながら彼は戦後、この日露戦争における日本の
「国際法順法活動」 というものについて著述した。 「日露陸戦交際法論」 がそれで、この一書によって、日本は後進国ながら国際法についてはいたいたしいほどの優等生であったことを、欧米に知らせた。 有賀長雄は一読して、 「降伏申し入れです。まちがいございません」 と、この短い文章を先ず英語で音読し次いで日本語に訳した。 驚嘆すべきことは、有賀が訳し終わったあとも、みな一語も発しなかったことである。 |