勇敢、不屈、勇猛、剛胆、勇気のような心性は、少年の心にきわめて容易に訴えかける。 鍛錬と模範を示すことを通じて訓練できる精神的性質だから、少年たちに早いころから見習わせた、いわばもっとも人気のある美徳だった。 軍物語は、少年たちがまだ母のふところを離れないうちから、くり返し聞かされた。 もし子供が何かの痛みによって泣けば、母親は
「これぐらいのいたみで泣くとは、なんという弱虫でしょう。戦場で、お前の腕が切り落とされたらどうしますか。もし切腹を命じられたらどうしますか」 と叱った。 私たちは、芝居
( 『伽藍先代萩
』 ) のなかで仙台藩の幼君が、 「巣に中にいる小雀が、黄色いくちばしを大きくあけて食べ物を求め、母鳥が飛んで来て食べ物を食べさせている。なんて夢中で幸せそうに食べていることだろう!
しかしサムライにとっては、腹がすいていると感じること自体が不名誉なことなのだ」 と、腹がすいていても我慢する哀感があふれる場面をみな知っている。 我慢と勇気の話は、おとぎ話の中にもたくさんある。しかし、少年に勇敢や剛胆の心を植え付ける方法は、こうした物語を語り聞かせることだけではなかった。親たちは、時には残酷と思われるほどの厳しさで、子供たちの胆力を引き出す訓練を課した。
「熊 ( 『太平記』 ) はその児を千仞せんじん
の谷へ突き落とす」 と彼らは言った。サムライの子は、苦難という険しい谷に突き落とされ、ギリシャ神話にあるシシュフォスのような苦役に駆り立てられた。 時には食べ物を与えず、寒さにさらすことが、子供の忍耐心を鍛えるうえで大いに有効な試練だと考えられた。幼い子が、まったく知らない人の所へ、何か伝言をするようやられたろ、冬の寒い日に、日の出前に起され、朝食もとらず、はだしで師匠のところへ通って、素読の稽古を受けさせられたりした。 子供たちは、しばしば
── 月に一度か二度、学問の神様の祭日などには ── 少人数で集まって、夜も寝ないで、大声で輪読などをしてすごした。あらゆる種類の恐ろしい場所 ── 処刑場、墓場、幽霊屋敷に出かけることは、若い者に好まれた遊びだった。斬首刑が公開されていた時代にあって、幼い少年はその恐ろしい場面を見にやらされただけでなく、真夜中に一人その場所に行き、来たという印をさらし首に付けて帰るよう命じられた。 このような超スパルタ的な
「胆を練る」 方法は、現代の教育家には恐怖と疑念を抱かせるだろうか ── そのような方法は、人の心のやさしい感情をつぼみのうちに摘み取る野蛮ななものではないかという疑問を抱かせるだろうか。 次に、武士道が、勇敢に関して他にどんな概念を持つかについて見ていこう。 |