~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅴ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
挙 兵 (十六)
この命令変更をいち早く知ったのは、県令の御者ぎょしゃである夏侯嬰であった。彼は簫何や曹参など、県庁の劉邦党に急報し、全員を県令の馬車に乗せた。城内にとどまっていると、逆に県令の命で殺されるに決まっていた。夏侯嬰は一鞭して馬を跳ねさせると、市中をまっすぐに走って西の城門を通り、城外へ逃れ出た。
県令は、直後に簫何の逃亡に気づいた。狼狽のあまり、くつをはき忘れたまま庁前の庭に走り出、悲鳴のような声をあげて御者を呼んだ。
「夏侯嬰はいるか」
なお庁内に残っていた一人の吏員が、力なくかぶりを振って、
「閣下の御者も、劉邦の徒たったのです」
と、言った。
あとは、県令としては城門を閉ざして、城内にすくんでいるしかない。
簫何らは、ほどなく城外で劉邦の軍に出遭であった。
劉邦は相変わらず竹の冠をかぶり、どこで手に入れたのか、馬にっていた。
「やあ、簫何か、苦労である」
と、たかだかと言った。
従う者の多くは簫何の顔見知りだったが、たれもが乞食のような格好をしていた。
簫何が、馬上の劉邦を見上げていくつかのことを報告すると、劉邦は微笑をもって点頭するだけで、べつに感謝の言葉も述べない。簫何には、それでよかった。劉邦が、ごく自然に将軍のような風貌になっていることに満足した。
この一軍が沛の町の城壁の下に着くと、城門は閉ざされている。
「父老たちに、城門を開けさせましょう」
簫何は、劉邦に、矢文やぶみを書くことを進言した。
劉邦は小さな絹に、俗語でもって父老への手紙を書いた。簫何が連署すれば父老も大いに信用するところだが、すでに劉邦の家来になっている簫何としてはそれを控えた。連署は劉邦の威と德を卑くするおそれがあったし、それに、家来になった以上は劉邦の嫉妬しっとを避けねばならなかった。簫何としては、以後、あたらしい配慮を劉邦に対してせざるを得なかったが、人に仕えることに馴れたこの男には、べつに苦痛でもなかった。
城内に射込まれた矢文は、父老に届けられた。父老たちはすでに若者を集めて自警隊をつくっている。彼らは自警隊をひかえさえた場所で合議をし。やがて劉邦を迎えることに決定した。もっとも一個のうつわに二つの物を入れるわけにはゆかず、劉邦を迎えるについては、県令を始末しておかねばならなかった。
「県令に、死をおくるように」
と、父老たちは、若者たちに命じた。若者たちは手に手に棒を持って市中を走り、県庁に乱入し、県令をとらえ、父老の言葉どおりの処置をした。
劉邦たちは、入城した。
父老たちは彼らを城門に迎え、県庁に案内した。ここで、父老たちは劉邦に沛公(沛県の主権者)になってもらいたい、と懇願した。このことは、この民族の社会での昔からの作法で、わかりきったことながらも、劉邦を戴くことを劉邦に懇願するかたちをとるのである。劉邦は劉邦で、
「私にはその德がない」
と、ことわった。さらに父老たちが懇願したが、劉邦は再びことわった。
三度目には、受諾した。これも、型のとおりと言っていい。
劉邦の軍隊が、県庁の前庭に整列している。
参謀格に、簫何と曹参がいる。
副官にあたる職として、幼友達の盧綰ろわんがいた。
諸隊長の職に、御者あがりの夏侯嬰、それに下級役人の任敖じんごう、葬式屋の周勃しゅうぼつ、織物の行商人の灌嬰かんえい、さらには見るからに最強の隊長といった感じの樊噲も隊を率いてしずまっている。沛の空を背景にして翻っている旗やのぼりは、劉邦軍の色である、赤帝の子であることを象徴する赤色であった。
庭に、祭壇がつくられ、犠牲いけにえがそなえられた。
まず、この大陸における天地開闢かいびゃく以来の最古の伝説的皇帝である黄帝こうていをまつり、さらには戦いの幸先さいさきのために軍神蚩尤しゆうをまつり、犠牲をほふってそも血でもって戦鼓の皮を赤くした。
2019/12/13