~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅴ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
楚 人 の 冠 (十七)
野戦にあっては、章邯に率いられた秦軍がいよいよ強勢をきわめ、各地で陳勝軍を破り、すすんで黄河のほとりにいたり、滎陽けいようを包囲中の田蔵でんぞうの軍を逆に包囲し、一戦、二戦とかるくゆさぶり、三戦で壺をこなごなにくだくようにこれを破った。田蔵は逃げるゆとりさえなく、乱軍の中で戦死した。
ついに章邯の秦軍は、陳に迫り、付近の小さな町を次々に攻めおとした。陳勝は城を走り出た。
陳勝は、ほんの数十日前までは、得意の絶頂にいた。
谷へまっすぐに落ちてゆく衰運の中で、それでも兵をかき集めては小さな戦闘をしたが、そのつど敗れた。汝陰じょいん(河南省)に転じ、さらに下城父かじょうほ(安徽省)の野をさすらっているときは、すでに微弱な小部隊を率いるにすぎなかった。町々は秦軍の制圧下にあり、どこを襲って食料を得るというあてもなかった。
「王よ、食べるものはないのか」
と、陳勝の寝室まで兵が押しかけた。
部隊は、飢えた。食を保障する能力を失った陳勝には、もはや王である資格はなかった。もっとも、考えようによっては、陳勝は最後に一つだけ皆の食糧のための役に立たぬでもなかった。
(陳勝を殺せば。──)
と、たれそもが考えた。陳勝の首を取って秦軍に投降すればその食にありつけないことはない。
陳勝の御者ぎょしゃに、荘賈そうかという屈強の男がいた。彼はあらかじめ仲間と示し合わせ、行軍中、陳勝と二人きりになった時、にわかに身をひるがえし陳勝のふとった腹を刺した。やがて死骸の首を搔い取り、一同を集めた。荘賈は車上にのぼり、陳勝の首を高くかかげ、大声で彼の悪虐を羅列した。荘賈は秦軍に投降する旨の使いを送り、さらには秦軍の一隊として陳に駐屯ちゅうとんする約束を得た。この一団は荘賈によって秦軍の糧食を得ることになった。
もっとも、事態はさらに変転した。かつて陳勝の腹心だった呂臣りょしんが、ほどなく新陽(安徽省)の地で残党を再組織したのである。この一団はみな青い帽子ぼうしをかぶった。
蒼頭そうとう軍」
といわれた。あらたな楚人の冠というべく、さらにいえばこの一軍はほとんど楚人であり、楚を復興しようという陳勝軍の本来の志を継ごうというものであった。
「陳勝の仇を討つ」
と、呼号した。
彼らは疾風のように陳の町を襲い、荘賈を殺し、秦に対抗した。かといって秦軍がこれに反応したわけではなかった。章邯たちの秦の諸軍はいそがしかった。各地に多発する反乱に応接せざるを得ず、陳の町をかえりみるゆとりは、もはやなくなっていた。
楚人が、すべて荘賈のような男ばかりだったわけではない。陳勝が殺された現場に居た人々の多くがその死を憐れみ、遺骸をかついでとうの地に葬った。
のち、劉邦りゅうほうが碭の地を通過したとき、
── かつて陳勝の挙兵によっておれは心をふるい、秦を倒そうと思った。もし陳勝がいなければこの劉邦の今日もなかったであろう。
と往時を述懐し、王に対する礼をもってその墳墓ふんぼに拝礼し、その墓守としてとくに三十戸を置いた。
ともかくも、陳勝は死に、張楚ちょうそはほろんだ。陳勝が王位にあったのは、わずか六ヶ月である。
2019/12/22