~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅴ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
長 江 を 渡 る (五)
召平しょうへいの身の上に、もどる。
揚子江を漕ぎ渡った召平が、まず感じたのは、この水田地帯に流民のいないことであった。
「別天地だ」
と、江南の野を見はるかしながら、配下の者に言った。この土地の静かさは一つは食糧が豊富であるということにもよるが、一つには項梁・項羽の鎮撫がよく行き届いているということでもあるだろう。項梁が知謀の人であることは、召平も聞いている。しかし項羽の勇猛無比の武威がなければ、こうはゆくまいと思われた。
(項氏の叔父とおい・・ と思った。
やがて呉中の城壁に近づいた。江北の県城に比べると、城壁も粗末で、全体にひなびていた。城門に、多数の番士がいる。 召平は城壁の下に立ち、城門のおさを呼び、私は東陵侯召平である、と名乗り、やがて威儀を改め、
「謹め。──」
と、言った。
「陳王の勅使として参った」
むろんうそ・・で、召平が考えぬいた智恵であった。
召平が思うに、今、一見、中立を保っているかに見える項梁の江南軍を江北のるつぼ・・・の中に叩き込まなければ、陳勝が秦軍のためにつぶされてしまう。召平は、すでに秦にそむいた。秦が勝てば殺されるに決まっている。秦を倒すには陳勝をもりたてるよりほかなく、そのためには項梁の江南軍を北上させねばならない。それには項梁に対し、陳王から命令が下った、とするしかない。
(しかし、陳王という名で、項梁ほどの名族のすえが恐れ入るかどうか)
不安があったが、しかし城門を通った後の遇され方はすみずみまで鄭重であった。やがてもとの秦の郡衙ぐんがに案内され、上席に据えられた。いうまでもなく、帯剣のままである。召平が勅使として遇せられているのかはともかく、非常に厚遇をされていることはたしかだった。
堂内は、暗い。
やがて下手しもての方で観音扉かんのんとびらが開き、陽光が堂内に射した。その陽光を背にして、一人の男が進み出て来た。剣は帯びていない。
丸腰であるというのは、召平を「勅使」として尊んでいる証拠ではあるまいか。
入って来た人物を、
(項梁だな)
と見当をつけた。その人間をはかろうとして目を据えている。思ったより小柄で、せているので、身が軽そうである。頭がはちびらきで、このためかんむりのつけぐあいが不格好であった。
項梁は、召平の前まで来ると、両ひざをまげてゆかにつけ。ゆっくりと上体を倒した。はいの礼であった。
(おお、おれをやはり勅使として遇するのだな)
項梁は、ひたいを床につけたのである。もしつけたままじっと動かずにいれば稽首けいしゅで、勅使に対する礼であった。ところが項梁は、トン、とひたいで床を一つたたいて、上体をあげてしまった。これなら頓首とんしゅの礼にすぎない。頓首は貴人同士の相互礼である。つまりは、召平を勅使とは認めず、したがって陳勝を王として認めていないことになる。
「お待ちあれ」
召平は、いくぶん、あわを食ったようにして言った。
「項梁どの。拙者は陳王の勅使として参っております」
「東陵侯召平どの」
と、項梁は、聞えなかったようにして、召平の名をおもおもしく呼んだ。東陵侯にお会いできてこれほど嬉しいことはございませぬ、と言って立ち上がり、さああちらにわずかばかりの田舎の酒と肉とを用意してございますから、どうぞ、と召平の手をとろうとした。召平はますますあわてて、
「項梁どの、拙者は勅使でござる。形だけでも謹んでくだされ」
(形だけ・・・・?)
項梁は、考えた。べつに陳勝にあらがうつもりは毛頭ないが、勅使というだけでもばかばかしい。
ともかくも、ここでは召平の持ち込んだだけを聞けばよい。形だけというが、その礼をとれば項梁は陳勝の臣下になる。礼をとる前に、まず話の内容を聞いておかねばならない。
「礼をとる前に、その勅命とやらの内容を、おらし願えまいか」
項梁は言った。
「勅命を洩らす?」
召平は、とまどった。そんな馬鹿なことは聞いたことがない。勅命の重みがなくなるではないか。
「召平どの、では、この堂内に仮に拙者がおらぬとせられよ。貴殿はそこにあって、独り言を申されよ」
(項梁というのは、策の多い人だな)
召平は、思った。策の多いのは読書をしすぎたせいかもしれない。その点は、自分に似ている。
それに、笑顔が、透きとおりすぎている。欲のすくないせいかもしれず、この点においては策士にはいても、あるいは百万の総帥になるにはどうであろう、と思ったりした。
「では、ひとりごとを申します」
召平は言い、視線をはりのほうに漂わせつつしゃべりはじめた。
「陳王は、楚を興そうとしておられる。しかしいまだ楚王ではなく、ことさらに国号を張楚としている。このあたり、微妙といえまいか。張楚とは、楚であるのか、それとも楚のかりの名称であるのか」
(ああ、召平とは理屈の多い男だ)
聴きながら、項梁は召平の重量を軽く見はじめた。こういう場合、ずばりと肝腎のことを先に言うべきなのだが、要するに召平は読書人にすぎないのではないか。しかしなにやら自分に似ているようでもある、と思った。
召平は、続ける。
「張楚は、楚を興す準備の一段階であるゆえ、その官制は秦制によらず、楚制によりたい。かつての楚にあっては、官の最高職である丞相じょうしょうのことを上柱国じょうちゅうごくという」
(上柱国。・・・)
項梁はひさしぶりでその長ったらしいおんを聞き、懐かしさが胸にあふれた。楚は、言語が他国と違っているのである。
召平は言う。
何人なんびとに上柱国を命ずべきか。楚は秦と異なり、たねと家を重んずる。楚の勲爵の家々は多く草莽そうもうに消えたまま世が乱れて項氏があらわれ出た。項梁たまたま江南に移って、衆のひとしく仰ぐところとなっている。よろしく卿は楚の上柱国に任じ・・・」
項梁は撃たれたように平伏した。
「ただちに兵を率いて秦を滅ぼすべし」
そこで、ことの糸が切れたように召平の声がとまり、堂内は静かになった。顔を伏せながら、項梁は鼻の骨にひびくほどに、自分の呼吸が荒くなっていることがわかった。
(なるほど、勅というのは、そういうことだったのか)
彼は身のうちにもぐりこむようにして考え、これは受けるべきだと思った。江北の戦乱の中に消長しているのは、すべて流賊である。その流賊の最大の者 ── 陳勝 ── から楚の官職をもらうというのは妙なものだが、しかし楚の上柱国といえば、いかにも流賊ではあるまい、正統、筋目、もしくは歴とした義軍の将、といったにおいを帯びるではないか。任命したのは、王としてはいかがわしい陳勝であるとはいえ、任命されるおれ・・は項氏の嫡系である。陳勝も、おれ・・を上柱国にすることによって、陳王としての権威を増すという利益を受ける。ともかくも、楚の上柱国という権威ある旗をかかげて北進すれば、群雄はあらそって傘下に入ってくるにちがいない。
「謹んで、おうけつかまつる」
と、項梁は辞儀を正して言った。
「むろん、いんじゅも、用意してきております」
召平が取り出そうとしたが、項梁は押しとどめた。これには儀典が必要だった。配下の将領たちはむろんのこと、士卒のはしばしまで呉中城の内外に大参集させ、車騎をつらねて
彩雲のように旌旗せいきをなびかせ、湧くように楽を奏して盛大にこれをとり行わねばならない。出来れば四方に人を派遣して、江南の項梁が楚の上柱国になったことを群雄に報らせねばならない。
「その儀式の日をもって、北進を開始することにします」
と、項梁は言った。
2019/12/28
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