~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅴ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
長 江 を 渡 る (九)
この日の午後、項梁は儀式を行った。あらためて勅使召平を庁舎に迎え、庁前の庭に色とりどりのしるしばたすじはたきぬばた けばたとりげばたをたてならべた。さらには数百の士官以上を堵列とれつさせ、城内、城外に軍兵をあふれさせつつ、楚の上柱国じょうちゅうこくの官を受けた。
やがて儀式が終わると、呉中城の内外の軍兵は、歓呼の声をあげた。
大楚タアチュウ!」
そのあと、士卒が、一団、一団と隊伍を組み、鳴物を入れて市中を練り歩いた。彼らは項梁が楚の上柱国になったことをこころからめでたいと思っていた。すでにおのれどもは流賊ではなく、楚の(まだ楚は実在しないとはいえ)官軍であるとも、この日から思うようになった。
勅使を受ける儀式が終わると、項梁は犠牲を軍神にささげて出陣の儀式を行い、軍を梯団ていだんに分け、梯団ごとに逐次ちくじ北へ出発させた。前途に、長江がはばんでいる。揚子江という海のような流れを渡ることが、江南軍にとって、この時も、これ以後も、非常な難事とされた。
あらかじめ船団を用意しておかねばならない。
項梁は、こういう点できわめて緻密ちみつな男だった。船の数と収容能力を計算して梯団をつくり、時間の間隔を置いては繰り出したのである。対岸の勢力を味方に引き入れる工作にも、抜け目がなかった。
先鋒せんぽう季布きふ鐘離昧しょうりまいが率い、渡江してそのあたりを鎮撫し、後続軍を待った。
みごとなものであった。
やがて項梁と項羽が主力を率い、大船団を組んで長江を渡った時は、雲が低く、靉気あいきが水面にこめ、前後が渺々びょうびょうとして南岸も北岸も見えなかった。
(もはや江南の岸は見えぬ、対岸も水のかなたにある)
項梁は、ひとり船の楼上にいて酒を吞みながら、思った。耳もとで帆と旗がはためくのみで、まわりはただ水と靉気のみであった。項梁は、杯を重ねた。楚人は一般に陽気で楽天的だが、なにごとかの関頭かんとうに立つ時、情感として悲愴ひそうを好む。悲愴と不安がない・・まじって血が泡立つ時、酒でおさえるしかなかった。項梁は、水を見つめていた。何等かの地物ちぶつか風景がまず見えれば、それをもって前途を占うつもりだった。
船団がようやく長江の中心にさしかかったとき、にわかに前方に声がひびき、軽舟が飛ぶように寄ってきた。
(軽舟か)
項梁は、この舟の正体が何かということで、前途の運を占おうと思った。舟には伝令と使者らしい人物が乗っていて、やがて項梁の船にのぼってきた。
「東陽ぼ陳嬰ちんえいどのからのお使者でございます」
と、伝令が伝えた。
項梁が使者を楼上に案内して、陳嬰の手紙を読んだ。東陽の健児二万とともに合流したい、と言う。
「陳嬰とはど、ういうお方か」
と、項梁は使者に聞いた。使者は、陳嬰が東陽県の地役人であったこと、徳望が数十里におよんでいたこと、ひとびとが王に推戴すいたいしようとしたが、母がこれを好まなかったために、みずからは単に東陽軍の引率者になり、一軍を挙げて項梁に献上しようとしていること、などを語った。
項梁は、ことさらに喜びの色を見せない。
「・・・母上が」
項梁は不思議な言葉を聞いたように思った。
「それは、なる孝というべきだ」
「御旗のもとに加わってよろしゅうございますか」
使者は、聞いた。
「言うにや及ぶ」
項梁はうばずいた。
「厚く遇したい」
とのみ言った。使者の顔に感動と喜びの色がみなぎった。それ以上に項梁は、わっと叫びたいほどの気持ちをおさえるのに、したたかに苦労した。幸先さいさきよしと言えるのではあるまいか。
2019/12/30