~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅴ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
宋 義 を 撃 つ (十三)
ときに、長雨が降っている。この日、大雨になった。寒気がはなはだしく、楚軍の士気は沈滞し、この滞陣のまま雨に溶けて土のように崩れてしまいそうであった。范増はついに決意し、項羽のもとに行き、ありのままを告げた。
「宋義は、私的に斉と外交をしています。滞軍は、そのためです」
項羽は、しばらく茫然としていた。項羽もまた宋義の口から出るさまざまな忠誠と愛国の言葉にまどわされ、宋義への不満を公然とあらわすことをはばかったきたのである。
「すべては、私事か」
項羽は、激情を抑えるために大息を吸い、かつ吐き、吐きながら、宋義はいとなむ、ただいとなむ、いままでの宋義の言動はことごとく私であったか、とつぶやいた。かつ項羽は首をあげて、かたわらを見あげた。壁に、きぬが貼られている。宋義の本営から来た軍法書であった。さきに項羽が宋義の本営にどなり込んだ翌日に全軍に配られたことから察して、宋義が項羽を想定して書いたものであることはまちがいない。
たけキコト虎の如ク、もと(ねじける)コト羊ノ如ク、むさぼルコト狼ノ如ク、つよクシテ使フベカラザル者ハ、皆コレヲ斬ラン。
項羽も、これが自分のことをいったものであることは察している。
ここまでふうされながら黙って来たというのは、この男の忍耐力からみれば稀有けうのことであったが、そのことは、項羽のなかにある宋義への家格へのはばかりと、つねに国士然として構えて来た宋義の演技にいかに彼が気を呑まれ、遠慮をしてきたかということのあらわれと言えるかも知れない。
宋義は、前夜に安陽にかえった。
項羽の行動は、短剣のような直截であった。
項羽は宋義が帰陣したということを確かめた夜、単騎、自陣を飛び出した。未明に城門に至り、門番に怒号して開けさせ、町を駈けて宋義の宿舎にいたった。
「急変である、上将軍にえつを賜わらねばならぬ」
と言って衛士を押しのけ、寝所に押し入って、とばりをかなぐりあけた。寝床の中で宋義の木臼きうすのような頭が動き、次いで肥った上体が持ちあがって、茫然ぼうぜんと項羽を見た。
「なんだ、貴公か」
と宋義が言った時、その頭上に、項羽の重い刀が降り落ちた。臼のような頭が割れ、あたりが赤く染まった。
そのあと、項羽の兵や、范増の兵が駆けつけて来て安陽の本軍を鎮静させた。項羽は諸将を宋義の宿舎に集め、
「宋義は斉に通じて楚をわたくしした。王はそれを知り、密勅をこのにくだした。よってこのようにちゅうした」
と背後の死体をあごでしゃくり、
「異存はあるか」
と、言った。諸将はみなおびえて拝跪はいきし、そのうちの一人が声をふるわせて、はじめ楚王を立てたのは項将軍の御家でございました、いま謀叛むほんがあり、かように誅されました、将軍の正しさをたれも疑う者はございませぬ、と言った。
「そのとおりだ」
項羽はうなずき、
「むかし江南の呉中で兵を挙げ、長江をわたり、准水を渡った時は、宋義のようなまやかし者はおらなんだ。みな楚を起こすべく結集けつじゅうした死士ばかりであった」
と言うと、両眼から噴くように涙をこぼした。
一同、項羽の涙を見て感激し、いっせいに項羽に対して誓うべく右肩をぬぎ、
大楚タアチュウ!」
と、さけんだ。
項羽は時をうつさず騎兵団を斉に向かって走らせた。
宋義の息子の宋襄を殺しておかねば、宋襄 は斉をうごかして楚を討つかもしれない。宋襄 が斉の国境に達したあたりで騎兵団はこれに追いつき、宋襄 以下、その一族を皆殺しにした。
さらに一方、項羽は懐王にも使いを出した。報に接し、懐王はのぞけるほど驚き、かつ怖れた。恐怖のあまり、使者が要請するよりも早く、項羽の名をうやうやしくとなえ、これを上将軍に任ずる旨、勅した。
項羽は、彼が本来握るべき楚の全軍を、ここであらためて掌握した。彼の生涯でただ一度の権力闘争であったと言っていい。
掌握するとただちに全軍に進発を命じた。北方の鉅鹿において秦の章邯三十余万の兵と決戦するためであった。項羽の兵は、七万ほどでしかない。
2020/02/23