~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅵ』 ~ ~
 
== 美 貌 の 女 帝 ==
著:永井 路子
発行所:文芸春秋
 
和 銅 元 年 (四)
自分は帝の意思を第一に考えている、と彼は前置きした。だから遷都案はすっぱと撤回するつもりだった。ところが、ここの思いがけないことが起こった。
というのは ──
天文・陰陽おんみょうをよくする者からの進言があったのだ。
「それによりますと、ここ藤原京は、凶相ただならぬところなのだそうでございます」
「嘘です。嘘をおっしゃい」
思わず元明は叫んでしまっていた。虚をかれた感じである。女の非論理性に対抗して、不比等は新手の攻撃をかけてきたのだ。しかも彼は事実を突きつけて来た。
「遷都を推進した高市皇子たけちのみこは都うつりから二年経たぬうちに亡くなられました。そして、持統の帝も、文武の帝も・・・・」
さらにその不幸はひろがるであろう、と彼は言う。
「私は帝の御身を御案じ申し上げております」
「脅かそうというのですね」
元明はつとめて静かに言った。
「脅す? とんでもございません。私は帝のおんため、命がけで働くことをお誓いしております。みすみす帝のお命を「いy危なくなしまいらせるようなことは、何としてでも避けねばなりませぬ」
「有難う。でも私は平気です。わざわいを恐れていては何も出来ません」
「ご立派なお覚悟でございます。しかし、氷高さま、吉備さまのお身の上にそれが及ぶといたしましたら?」
元明は思わず絶句する。どこに不比等はつけこむ。
「いや、吉備さまの王子みこさまや、ひいては文武の帝のお忘れ形見、広成王、広世王のお身に何かが起きましたら」
「信じませぬ!」
元明は辛うじて口を挟んだが、その声は揺れていた。
「信じません、そんなことは! 不比等、そなたは私たちを脅してどこへ連れて行こうというのです」
「何も脅すなどと・・・・」
「言わないなら言ってあげましょうか」
「は・・・・」
「近江でしょう」
元明は不比等をめすえた。
「誰がそのようなところへ行くものですか」
不比等の顔に静かな笑みが浮かんだのはその時である。
「近江? ほう・・・・」
珍しいことえお聞くというようにくりかえし、
「そのようなことは思ってもおりませんでした」
小さな眼はじっと元明を見つめている。眉の薄い顔が奇妙な仮面に似てきた。
「私はただ、忌まわしいこの地でなければ、どこでもよろしいと思っているのでございます」
一座にこれに同調するざわめきが起こった。すでに人々は、藤原京の凶相におびえはじめていたのだ。
「帝の御身を気遣うの卿の意見はもっともと思われます」
「私も」
「私も」
うなずく中に穂積の顔もあった。悪意はないのかも知れない。深夜の来訪も、よもや不比等にそそのかされてのことではなかったかも知れない。が、何の考えもなく大勢に順応してしまう穂積の人の良さに、元明は限りない苛立いらだちを感じざるを得なかった。
大勢は明らかに非であった。高官たちは怯え、浮き足立っている。明日にはその部下たちに、そしてその翌日には下僚や庶民たちにこの波紋が広がってゆくであろう。
が、元明はまだ後には退かなかった。
「私は嫌です。歴代の帝が造られたこの藤原京からうつろうとは思いませぬ。それに ──」
ゆっくり一座を身廻した。
「私は薬師如来のお力を信じています」
「薬師?」
誰かの小さなつぶや きに、元明は胸を張って応えた。
「そうです、薬師寺の、あの三尊です」
かつて天武帝が、きさきの鸕野讃良うのさらら(後の持統)のために発願はつがんし、その死後、持統から元明へと引き継がれたこの寺は、この地に腰を据えた天皇家の寺だ。それにもう一つ、元明たち蘇我山田石川麻呂の娘たちの帰依きえする山田寺のあの荘厳な仏たち ──。
「私はその加護を信じ、御仏みほとけとともに、力の限りこの地で生きぬきます」
その時である。不比等の小さい瞳に、薄気味の悪いほどおだやかな微笑が浮かんだのは。
「帝」
声はあくまで静かだ。ふつうなら興奮の絶頂に達すべき時に、彼は妙にもの靜になるのである。
「ならば、その御仏を、帝の還られるところまでお運びいたしましょう」
「え? あの薬師三尊を、お運びするんですって」
あの巨像を? あの黄金の仏たちを?
「出来もしないことを言うのはおやめなさい」
元明の声がうわずってゆくのをさらりと受けとめて、不比等は言う。
「出来ないことではありませぬ」
「・・・・」
「私がやって御覧に入れます」
「・・・・」
「どこまでも、帝のよしと仰せられるところまで。仰せとあらば近江までも。いや、心にもないことを申しました。近江などには参りますまい。ただ、私は帝の御為なら、命がけで何でもいたします」
意地ずくになっているのか。それにしても、果たしてあの三尊を動かすことは出来るのだろうか?
廟儀が何度もくり返された後、遂に元明は遷都を承諾した。遷都の詔が発せられたのは和銅元(七0八)年二月。
「遷都ノ事、必ズトスルコト未ダイトマアラズ。而ルニ王公大臣ミナマウサク。往古ヨリ已降コノカタ近代ニ至ルマデ、日ヲハカリ、星ヲテ宮室ノ基ヲ起シ、世ヲボクシ土ヲテ皇帝ノイフヲ建ツ・・・・衆議忍ビ難ク詞情深切ナリ。・・・・アニ独リ逸予センヤ」
廟儀に列していたわけではなかったが、氷高は、その言葉の中に母の真情がこめられているように思えてならなかった。
── お母さまは、お心の中では、この藤原京から還らなくてもいいのに、と思っていらっしゃるのではないかしら。
2019/09/21