~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅵ』 ~ ~
 
== 美 貌 の 女 帝 ==
著:永井 路子
発行所:文芸春秋
 
あ を に よ し (五)
孤立をあらわにするよりは、妥協を、それも誇り高い妥協を ──。そう覚って、母は心を奮いおこし、堂々とその役割を演じきったのだ。
── たとえ首に縄を捲かれ、引きずられての遷都にあるにしても、その縄を人々に感づかせてはならない、それが女帝の誇りであり意地であった。
が、その眼はめ続けていて、いま母は、おのれの敗北に、容赦のない視線を向けている。
「だから氷高 ──」
母の白い頬に淋し気な微笑が漂った。
「この歌は、私のお詫びの歌なのです。草壁皇子への、天武、持統、お二人の帝への」
氷高は応える言葉を持たなかった。わが歌に視線を向けていた元明は、静かに言った。
「そなただけには、このことを知っておいてほしかったのです」
「はい、お母さま・・・」
政治の主宰者は、めったに本心をさらけ出してはならない。たとえ魂を引裂かれようとも・・・。母はそれを言いたかったのだろうか。孤立し、決戦を挑み、玉砕することはむしろたやすい。が、より困難な後退と妥協に中に、活路を見出すべきだと、母は言っているのか・・・。
いずれにせよ、このことは深く心に刻んでおかねばならない、と氷高がかすかにうなずいたとき、元明は首をしゃんと立てて、はっきり言った。
「でも、私は決して絶望はしていないのですよ」
その時扉の外に足音がした。
「お目通り願えますでしょうか」
聞きなれた長屋王の声であった。彼はその前の年の十一月、宮内卿くないきょうに任じられている。すでに従三位に昇進してる彼が、官僚として初めて与えられたこのポストは、天皇や皇族に関する一切の庶務を管理する宮内省の長官で、血のつながりから言って、元明にちかしい一人として選ばれたのだった。新都入りして早速必要とする食膳や衣料、木工、金工品んどすべては彼の担当である。
「それについて、今のうちにお耳に入れておきたいこともございまして」
細々としたことを報告しながら、ふと卓の上の紙片を見やった。
「拝見させていただいてもよろしゅうございますか」
一読した後、長屋の瞳には、深い感慨の色があった。彼もまた藤原京で、父、高市皇子を失っている。父の思い出を刻むつけた、飛鳥、藤原の地を去ることには耐えがたい思いがあるに違いない。またこの長屋こそは、みずからの名の拠り所となった地名である。それらのなつかしい土地を離れて行くことの意味を知らない長屋ではないはずだ。詩心豊かな彼は、元明に和する歌を思い浮かべようとてか、眼を空に遊ばせた。
── 新しい都では、状況はいよいよ厳しくなりそうです。
氷高がそう言いかけた時、侍女が右大臣不比等の来訪を告げた。
「灯を明るくするように」
侍女に命じ、卓上の紙片をさりげなく隠したとき、元明の頬から憂いの色は消えていた。日頃見せ続けた華やかな笑みを取り戻すと、
「さ、近くへ」
胸を張って不比等を招じ入れた。一礼した彼は、
「お、宮内卿も、ひめみこさまも、これへ」
肩を縮めるようにしながら、下がり眼の眼尻に笑みをにじませた。
「私はもう用事を済ませましたので」
長屋は席をった。その後姿を見やりながら、不比等は、
「宮内卿は、まことにすぐれたお方で」
感に堪えたように言った。
まだ就任後、日も浅うございますのに、目を見張るほどのみごとさで事を処理されます。いや、内廷の雑事などを担当なさるのはもったいない。いずれ、より重要な仕事をお任せあるべきかなと存じますが、いかがなもので?」
思いがけないほどの賛辞が続いた。自分たちと長屋との密接なつながりを知らないはずのない不比等の、この称賛は何なのか。もし母の言葉を聞いていなかったら、氷高はかれの言葉の意味を探ることすら思いつかなかったかも知れない。
が、今は違う。母以上に本心を覗かせないこの男の洩らした言葉に、氷高は何とか迫ろうとしている。そんな氷高の方を見ず、不比等は、しきりに元明の疲れを気づかった。
「何しろ長い道のりでございますから」
「いいえ、大丈夫です。明日の都入りを私は楽しみにしております」
にこやかな元明の答に一礼し、
「都造りの者ども、みな帝の御到着をお待ちしております」
と言ってから、不比等は氷高の方へ瞳を向けた。
「ひめみこさま、いま都で口誦くちずさまれている歌を御披露申し上げましょうか」
「・・・・」
答を聞かずに、不比等は眼を閉じて低く口誦んだ。
「あをによし奈良の都には万代よろずよに我も通はむ忘ると思ふな」
黙って眉の薄いその顔をみつめながら、氷高はふと心を凍りゆかせた。
── この男はお母さまの歌を知っているのではないか。
いやそんなはずはない。母の歌を知っているのは長屋と自分しかいない。にもかかわらず、心の底を容易に覗かせそうもないこの男には、見えないものまで見通してしまう力があるようにさえ思われるのだった。

新都の運営がしだいに軌道に乗りはじめた翌年、藤原京からの急使が、大官大寺焼失の報をもたらした。それを聞いた瞬間、
「薬師寺は? 薬師寺は無事でしょうか」
氷高は口走っていた。
2019/09/22