~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅵ』 ~ ~
 
== 美 貌 の 女 帝 ==
著:永井 路子
発行所:文芸春秋
 
秋 霧 (五)
「では、お姉さま」
吉備は問いただす口調になっていた。
「私にも・・・私にもそう生きろとおっしゃるのね」
沈黙したまま、暗くなりかけている池の面を、氷高は見つめている。
「わかりません」
ぽつりと言葉が洩れたのは、ややあってからだった。
── そう生きなさいと言えるほど、私は強くない。
はしなくも吉備が口にしたように、自分自身の生を妹のそれに重ねてみたとき、それに耐えられるかどうか。
またしても耳の底によみがえるのは夕占問ゆうけどいの女の言葉であった。
「もしその子が世の常の女のように恋をし、子供をもうけるなら栄光は消えよう。それどころか、そこには恐るべき運命が待ちもうけているだろう・・・」
夕餉問の女の言ったのは、このことだったのか。
── 、いいや、そんなことはない。私は夕占問なんか信じはしない。
声にならない声で、氷高は激しくあらがう。
── 長屋王が不比等の娘に心惹かれたとしても、それは一時のことかも知れない。
この頃の常として、長屋には妻とは言えないが、交渉を持っている女は他にも居る。かつて彼に近侍していた石川いしかわの虫丸女みしまろめ桑田くわた王と呼ばれる男の子さえもうけているが、吉備はその事を気にしているふうはない。
しかし、長娥子は、不比等の娘だ。虫丸女とひとしなみに考えられないのも無理はない。そう思いながらも、氷高は心のどこかで、長屋を信じたいような気がしている。
女の媚態びたいに眼がくらんで、いや、栄達への誘いに乗せられて、吉備を棄て去る長屋だろうか。それほど自分たち姉妹は権力の片隅に追いやられてしまったのか。げんに女帝として君臨している元明の娘である自分たちは、それほど頼りない存在なのか。そしてそれを見棄てようという長屋なのか?
そうは思いたくなかった。吉備のためとういより、それは自分の青春の思い出のためであるかも知れなかった。
が、それからまもなく──。
氷高は長娥子が身ごもったことを知らされる。生まれたのは男児で安宿あすか王と名づけられたという(すこし後の事になるが、長屋と彼女の間には、次々と黄文きぶみ王、弟貞おとさだ、そして女児も一人生まれている)
長屋はもちろん長娥子の許にだけいたわけではない。あくまでも佐保の邸を本態として、吉備との仲も絶えてはいない。しかし長娥子の出現によって、彼の立場は微妙に変わったようにも見える。
彼は大官大寺の再建にはあまり熱心ではないようだ。薬師寺の移建にも消極的である。より優先して行わなければならない建物の工事も遅れていたし、財政的なゆとりもなかったことは確かである。が、一方では飛鳥にあった藤原氏の氏寺、厩坂寺うまやさかでら(一名山階寺)が、平城京の東隣の台地に、早くも建立されかけている。その名も興福寺と改められ、規模も拡大された伽藍が偉容を現しはじめたとき、人々は、新都の真の実力者が誰であるかを、否応なく知らされたはずである。
そして、そのころ、ほとんど何の理由も示されず、先帝文武のひんとされていた石川刀子いしかわのとじのいらつめ紀竈門きのかまどのいらつめはその称号を削られた。それに従って、刀子の産んだ広成ひろなり広世ひろよは母と同じ石川姓とされ、ともに文武の皇子でありながら、皇族の身分を失った(この三人は後に高円たかまど姓を名乗るようになった)
まさに抜打ぬきうち的な、氷高たちに異議をさしはさませない決定だった。これに対しても、長屋が何の異議も唱えなかったらしいことを氷高は後で知った。
文武の皇子として残ったのは、いまや宮子所生のおびとひとり、平城京とそれに隣り合わせた、宮殿とも称すべき不比等の邸を往き来しつつ、すでに少年期を迎えた彼は、三千代や多くの侍女にかしずかれた日々を送っている。そしてその周囲には、時折、長屋と長娥子の顔も見えることを、氷高は知っている。
2019/09/24