~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅵ』 ~ ~
 
== 美 貌 の 女 帝 ==
著:永井 路子
発行所:文芸春秋
 
はく こう (五)
隼人鎮圧に出かけた旅人からは、まもなく勝利の知らせがもたらされた。まだ全面鎮圧にはいたっていなかったが、元正は彼の勝利を嘉し、副将軍以下に残務を任せ、一日も早く、帰京することを命じた。
筑紫にあって勅をうけた旅人は同時に知ったはずである。自分を廟堂から切り離すべく征途に赴かしめた不比等その人が、すでに世にいないことを。
不比等の病気は、旅人が大隅で転戦する間にぐんぐん悪化していったのだった。例によって大赦が行われ、寺々で平癒が祈られたにもかかわらず、彼がふたたび起つ日はやって来なかった。
この世を去ったのは八月三日、思えばあの白虹はくこう は不比等の死の前兆だったのか?
皇太子首を是が非でも政治の場に引き出そうと思ったのは無意識のうちに死を予感してのことだったのか? いやそうではないかも知れない。体内に栖みはじめた病魔が彼を苛立たせ、例にない前のめりの姿勢をとらせることになっただけのことではないか・・・・。
白虹が何を意味するかにかかわらず、今厳然としてあるのは不比等の死であった。壬申の戦を危うくのがれ、しぶとく、我慢強く政界への復帰を狙い、遂に右大臣にまで登った男。なみすぐれた権謀の男はしかし、最後の宿望を遂げることは出来なかった。父鎌足がひそかに思い描き、かつ彼が着実にその実現にぎつけつつあった夢 ── 藤原氏を母とする天皇の即位を、遂に見ることなくして彼は世を去らねばならなかったのである。
もう一歩のところだった。そして、わが娘安宿媛を首のきさきとすることによって、権力の構図は完璧なものになるはずだった。
その宿望を砕き、横あいから帝位を奪い取ったのは? いうまでもなくいうまでもなく女帝元正である。
── 死の床にある間、不比等は私を呪い続けていたに違いない。
元正はそう思っている。恐るべき敵がたおれたことを安堵するよりも、不比等の、そして遺された息子たちからの呪いの矢が自分に向かって集中して来ることを感じている。
が、彼女は今、顔色も変えず、それを受け止めようとしている。もちろん、不比等に対する深い弔意を表することは忘れなかった。その死を悼んで朝務を廃し、異例の手厚さで弔慰品を与え、後に太政大臣、正一位を追贈した。不比等の邸に赴いてその詔を伝えたのが他ならぬ大納言長屋王と中納言大伴旅人だったことは、何とも皮肉な構図ではあったが・・・・。
いまや右大臣もその座になく、実質上廟堂の最上席にあるのは長屋王である。すぐにも彼を昇格させることは可能だったが、ここでも元正は慎重を期した。不比等が世を去った日、穂積ほづみ親王の死後廃されていた知太政官事ちだいじょうかんじをただちに復活させて舎人とねり親王をこれに据えた。舎人は天武の第六皇子、母は天智の娘、新田部にたべ皇女で、元正たちとはむしろ疎遠である。その上彼は不比等の意を受けて『日本』の編修にたずさわり、つい先ごろそれを成し遂げたばかりだった。
その内容について、元正は必ずしも満足していなかったが、
「皇族の長老として」
とひそかに彼を推挙したのは長屋であった。不比等の死を機に、「参議」房前ふささきを残して、藤原氏の力は大きく後退した。が、不比等の息子たちは決して黙って引っ込んではいないだろう。その時、彼らに利用される可能性の多い舎人には、この際むしろ手をさしのべておくべきだ、と言うのがその意見である。これは彼の前々からの持論であり、元正はその意見を入れて、天武の皇子である舎人と新田部にはかなりの経済的優遇を与えている。
「わが異母弟新田部にもしかるべき地位を」
新田部は藤原氏との結びつきはさらに濃い。彼の母は鎌足の娘、五百重いおえのいらつめであり、彼女は夫の天武の死後、異母兄不比等と結ばれて、麻呂まろを産んでいる。つまり新田部と麻呂は異父兄弟なのだ。元正はこれに不安を感じたものの、結局彼を知五衛ちごえおよび授刀舎人事じゅとうとねりじに任じた。舎人が文官を、新田部が武官えお統括する形になったが、この地位はいずれもそのまま実質的権力には連ならない性格を持つことから、元正は今後の運営を、長屋の力量に任せることにしたのである。
彼を大納言に任じたときよりも、いま、元正は彼と言葉にならない言葉を交わすことが多くなっている。二人は不比等の退場が、自分たちの勝利を意味しないことを知りぬいている。危険はこの先も続くだろう。が、その彼らさえ、より大きな試練がその前途に立ちふさがるであろうことに気づいてはいなかったのであった。
2019/10/01