~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅵ』 ~ ~
 
== 美 貌 の 女 帝 ==
著:永井 路子
発行所:文芸春秋
 
ろう (四)
「大夫人」をめぐって、長屋と藤原一族との大論争が行われたのは三月二十三日のことである。
長屋はその日敢然として言ったのだ。
「さきの勅についてでありますが、公式令くしきりょうの定めるところでは、藤原夫人の今後の称号は皇太夫人と申し上げるべきであります。それを勅のとおり申し上げることになりますと、これは明らかに令に違反いたします。かと申して、令の規定に従って皇太夫人とお呼びすれば、これは違勅の罪に問われることになりかねせん。いかにすべきか、改めて御決定をお願いしたい」
藤原氏側も反撃に出た。
「たしかに令の規定はそうでありますが、今度帝が即位されるに従って、安宿あすか媛は自然藤原夫人と申し上げることになりました。それではこおお二人の夫人をどう区別すべきか、当然区別があってしかるべきではないか」
たちまち長屋は切り返す。
「その故にこそ、皇太夫人の称号が決まっている。それをわざわざ破る必要はない」
「それはあまりにも杓子定規しゃくしじょうぎだ」
「いや違う、現在の律令を尊重したいと言い張っておられるのは卿たちのはず。すでに新しい律令の撰定せんていも終わっているのに、まだ施行に踏み切ろうとしない」
「それとこれとは別だ」
論争は数刻続いた。その結果、遂に長屋の意見が勝利を得たのは、藤原氏以外の高官が理路整然たる彼の論法に賛意を表したからである。ただ藤原氏は粘りに粘って、口に出して言う時に限ってはオオミオヤと言うという了解事項を取り付けた。
「これは帝の御孝心によるものだ。やはり母君のことは普通のオオトジと区別してお呼び申し上げたいというお気持ちを踏みにじることは出来ない」
「ただし、あくまでも文字の上では皇太夫人と書くことですな」
長屋は念を押した。
「はっきりさせるために、勅を出し直していただきたい」
「何と」
「先の勅は回収し、改めてその旨を公布していただくのです」
文書に書けば、これが公式のものとして残るから、宮子はあくまでも皇太夫人である。長屋はこれを強く要求した。藤原氏は遂にこれを受け入れざるを得なかった。藤原氏の敗北は聖武の敗北である。即位早々の新帝は、一月余りで勅を回収するという前代未聞の屈辱を味わう羽目に陥ったのであった。
にもかかわらず、当時の廟堂で長屋をそしる声が起きなかったのは、人々はその背後に正元の存在を感じていたからだ。何と言っても当時の太上天皇の重みは、ときに天皇を超えるものがある。この時も元正は全く表立った動きは見せなかったが、人々は長屋の言葉の一語一語に、正元の意思を読み取っていた。そして藤原氏側もまた、長屋の法理論に屈したというより、姿を現さない正元の無言の威圧の前に退却を余儀なくされたのかも知れないのだ。
もっとも正元自身は、これ以上の深刻な対立を望んでいたわけではなかった。事件が落着したとき、むしろ聖武と長屋の和解のために積極的な動きを見せたのは彼女である。
── 帝を一度作宝楼にお招きするように。
長屋と吉備にそっと意を告げ、聖武にもその旨を伝えた。そのころちょうど手入れを始めていた長屋の邸の完成を待って聖武を迎えることにしたので、実現はやや遅れてその年の初冬になったが、元正、聖武を迎えた作宝楼での宴は、たしかにその後しばらく政界の平和をもたらした。その時元正は一首の歌を残している。
波太須珠寸はだすすき 尾花逆葺をばなさかふき 黒木用くろぎもち 造有室者つくれるむろは 迄万代よろずよまでに
聖武も続いて一首を長屋にしめした。
青丹吉あをによし 奈良乃ならの山有やまなる 黒木用くろぎもち 黒造有室者つくれるむろは 雖居座ませど不飽あかぬ可聞かも
三月の屈辱へのこだわりを全く持たぬかのように、その顔はあくまでおだやかに、遠慮がちな微笑をにじませたその顔を見るとき、元正の心はやさしくなる。それと同時に言い知れぬ混乱に襲われる
── の争いは、いったい何だったのだろうか・・・・
弟によく似たこの甥が何ともつかみどころにない存在に思えてくる。彼はただ藤原一族に操られているだけなのだろうか、それとも?
気がつくと、吉備も聖武に微笑を送っている。が、張りのある瞳はそのじつ、ひとつも笑ってはいない。鋭すぎるその眼の輝きに元正は何か胸騒ぎに似たものを感じるのだった。
2019/10/08