~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅵ』 ~ ~
 
== 美 貌 の 女 帝 ==
著:永井 路子
発行所:文芸春秋
 
闇 深 け れ ば (四)
田辺史 ──。
いやな名前をまた美千代の口から聞く。名前こそ変えているが、彼が藤原鎌足の子であることは周知のことだ。そしてその鎌足こそは、持統にも、母の阿閉にも、そして自分たちにも忘れられない宿敵なのである
たしかに、皇子軽が持統の後継者と決まった後、その祝の意味を込めて右大臣丹比真人たじひのまびと以下に恩賞が行われた時、史は異例の褒賞を受けた。位は直広肆じきこうし(のちの從五位以下)から一躍直広弐じきこうに(従四位下)に進んだ。さらにこの時はその位に相当する以上の資人しじんを賜っている。資人というのは、朝廷から与えられる共人ともびとで「つかいひと」とも呼ばれる。彼に与えられたのは五十人、従四位なら三十五人という規定を大幅に超えている。もっともこの時彼より上位者にも規定を上廻って与えられてはいるが、ともあれ史がこれを機に高官の仲間入りをしたことはまちがいない。
が、氷高は知っている。
── お祖母ばあさまは、決して快く史を昇進させたのではないはずだ。
口には出さないまでも、母の阿閉や伯母の御名部にも同じような思いがある事を彼女は感じ取っている。しかし、他の皇子たちを排除して、ともかく軽擁立に貢献のあった史には、やはりそれだけの配慮をするよりほかはなかったのだ。
なのに、いま、三千代は、これを持統の英断として褒めそやしている。
「あのときは、私、田辺史が葛野かどの王に思いつきで入知恵をしたのだと思っておりましたけれどね、あれはあの男だけの考えではなかったのでございますよ。多くの若い官人たちの間を駆けずり廻って、新しい政治をおやりになるのは軽皇子さましかいない、と説いて廻って、若手の考えを一つにして葛野王を動かしたのですって」
三千代の話はいやにくわしい。
「さすが上帝さまですわ。それにお気づきになったのですもの」
持統への手放しの褒め方に、氷高は一種の空々しさをかんじて思わずこう言わずにはいられなかった。
「でも、三千代」
「何でございますか」
「そなた、あの田辺史のこと嫌いだったはずじゃなかった?」
「ええ、そうでございますとも、大嫌いでございますわ」
間髪を入れずに答えが返って来た。
「私も史は嫌いよ」
氷高は念を押すように言った。
「そうでございますとも、嫌な奴ですわ。でも、ひめみこさま」
三千代はさらりとした口調で言う。
「お若い軽皇子さまのためには、嫌な奴でも何でも、役に立つものは利用しなければなりません。今は大事な時でございますからね。ああ、それだというのに・・・・」
さもやりきれない、といった風に大げさに眉をしかめた。
「お若い皇子さまにお仕えする東宮大傳とおぐうのだいふ当麻国見たぎまのくにみ春宮大夫とうぐうのだいぶ路跡見みちのとみ、しようのない年寄りばかりですわ。壬申の時の功績だけが自慢で、しゃしゃり出てくるのですもの」
たしかに二人とも壬申の功臣だ。東宮の教育係ともいうべき傳に任じられた当麻国見は軍事を司る官僚であり、路跡見は行政手腕と見識を重く買われていた。つまり文武両道の経験者が任命されたのであって、いうまでもなく持統の意思によるものだ。
が、三千代はそこから眼をそむけ、いかにも二人の老骨が場所をわきまえずに出て来たような言い方をした。
「ああいう年寄りは駄目なのです。時代遅れですわ。世の中の動きがわかっていません。路跡見は、昔、新羅しらぎの使いを接待したとかで、外国通のような顔をしてますけど、あの人、ひとつもわかってはいないんです。新羅だってとっくに変わっていますのよ」
新羅は以前は唐と対立していた。壬申の戦のころである。日本もそれ以後は専ら新羅と手を握り、唐との交通を絶ってしまったのだが、新羅はとの昔に唐との仲を回復し、使いを往復させている。意地を張って唐との交渉を絶っているのは日本だけだ。日本だけが時代遅れになってしまった。滔々とうとうと語り続ける三千代の顔を見守っていた氷高は、やがて口を開いた。
「三千代、そなたはずいぶんいろいろのことを知っているのね」
「おそれいります」
「そういうことを誰に教えてもらったの」
三千代は一瞬まぶしげな顔をしてから急いで首を振った。
「いえ、誰にも、でも皇子さまのおためを思いますと、いろいろ気になりますの」
── なぜ三千代はああおう話をしたのか。
後になって氷高は考える。三千代の話と母や祖母の話にはあきらかにずれがある。あるいはそれを承知の上で、わざと彼女は自分に語ったのかも知れない。
── もしかすると、田辺史の昇進を強くお祖母さまに進言したのは三千代じゃないかしら。
ふとそんな気がした。
その夏の終わり ──。持統の体の不調は、もう誰の眼にも明らかになりはじめていた。
2019/09/15