~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅴ-Ⅶ』 ~ ~ |
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==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社 |
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鴻門の会 (十三) |
── 百策ことごとく水泡に帰すれば、あとは尊公の一剣に頼る以外にない。
余興に剣舞を見せてその隙に劉邦を殺せ、ということだった。項荘は剣技に長じていたが、それ以上に剣の舞がうまかった。
── 尊公が殺るなら、大王だいおう(項羽)も許す。
他の者なら項羽はどんな反応を示すかわからないが、いとこであるということでむしろ他の者に尊公の勇を誇ってくれるだろう、と范増は言い含めた。
項荘は客席に入り、中央に向かって滑るように進む出た。項羽のいとこであるといおうので、この出現は劉邦から見ても異様ではなかった。
「沛公の寿をことほぐために、ひとさし剣つるぎの舞を舞いましょう」
と、項荘は優雅にあいさつし、剣を抜いた。
劉邦はもう息を出し入れしているのが精一杯だった。たがて項荘は白刃をゆるやかに動かして舞いはじめた。視線は時に他へ転ずるが、節目ふしめごとにするどく劉邦へ注がれた。
この時杯さかずきを置いて立ち上がったのが、錆さびびた鉄の面のような顔をした項伯だった。
「舞い手が一人では、剣の舞になるまい」
と言い、するすると中央を半ばまわって剣を抜き、項荘に合わせて舞いはじめた。おい・・の項荘が突進しようとする気配を見せると、おじ・・の項伯はたくみに劉邦の前に立ってかばった。
(が、いつまでかばいきれるか)
張良は思った。
(もはや、何の策もない。あとは、樊噲の勇気に頼むのみだ)
張良は思い、中座した。
いそぎ軍門まで出ると、門外を塞ふさぐようにして樊噲はんかいが左肘ひじに楯たてをかかえ、立ちはだかっていた。張良は事の急迫を告げ、
「卿けいの死ぬときが来た」
と言った。聞くと同時に、樊噲の巨大な肉体が門内へ突入した。項羽の護衛兵が阻はばもうとしたが、楯で押しとばし、幔幕の中に入った時、たれもがそこに雷電が落ちたような感じを受けた。樊噲は立ちはだかったまま正面の項羽を睨み据え、
「自分は大王を尊敬してきました。しかしそれは間違いだった」
と轟とどろくような声をあげた。生来訥弁とつべんの男だったが、人変わりしたように言葉が次々と噴きあげ、大王は沛はい公の大王への誠実がなぜわからないのか、その忠良にむくいるに誅殺をもってするなら天下の人心は大王から離れるだろう、という意味のことを叫びに叫んだ。項羽の反応は異様だった。大いにひざを打ち、名は何というか、と朗ほがらかな声で聞いた。
「たれか、この者のために座と肉を与えよ」
と言ったのは、よほど気に入ったからであろう。項羽は、陰気にうずくまっている劉邦や張良を見てこの宴に飽きてきたところだっただけに、この意外な役者が炸裂さくれつするようにして空気を一変させてくれたことを喜んだ。その上、項羽は自分自身がそうであるようにこういう種類の男が好きであった。好きだが、この種の勇者は鬼ゆうれいと同様、めったに見かけることがない。であるのに、樊噲が項羽のふるえるほど好きなその典型をみごとに演じてくれたのである。
「壮士だ。これこそ壮士だ」
おては今壮士をたしかに見ている、という言葉を繰り返した。壮士という言葉ははるかな後年、日本語の中に入った時、志士を気取りち実は打算で動き、小利にころび、平素政治上の壮語をして実際は恐喝でもって衣食している徒をさすようになったが、この時代は戦慄せんりつするほどに新鮮な言葉とされた。戦国期をへた社会が、極めて希少な一典型として生んだ精神で、わずかな義と俠のために即座に自分の生命を断つ若者のことをいう。
張良は、この綱渡りが半ば以上過ぎたと思った。智も略もなにもかもが及ばなくなったとき、世の論理から全く外れた非条理のしろもの ── 項伯といい、樊噲といい ── 大地をたたきつけて閃光せんこうを発しさせる以外に手がない。そうすれば、あるいは劉邦は助かるかも知れなかった。
樊噲のために宴席に混乱がおこっている。これを機しおに劉邦は席を外した。たれもが厠かわやへ立つのかと思った。が、劉邦は遁走とんそうしてしまった。
あとは張良がとりつくろった。
彼は劉邦からあずかった贈物 ── 項羽には白壁はくへき一対、范増には玉斗ぎょくと(さかずき)一対 ── を差し出し、優雅に作法しつつ辞去した。そのあと、客の帰った宴席で、范増一人が形相ぎょうそうを変えて立っていた。やがて剣を抜き、贈られた玉斗を叩き割り、
「小僧(項羽)」
と、すでに席にいない項羽をののしった。世は劉邦のものになるだろう、連中(項羽の血族・幹部)はやがてことごとく劉邦の虜とりこになる、思い返せば、小僧は所詮しょせん小僧にすぎなかったのだ、と言った。
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2020/04/15 |
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