~ ~ 『 寅 の 読 書 室 Part Ⅴ-Ⅶ』 ~ ~ |
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==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社 |
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漢王の使者 (十四)
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劉邦の心中は異っていた。
本来この男に礼がないことはその左右がよく知っている。しかし重要な人物に対しては、過去においても身を翻すような変わりようで礼を用いたことが幾度かある。
彼は黥布げいふに対しは礼を用いたいという気持ちが多分にあった。が、それ以上の感情として、随何への子供っぽいほどの憎ったらしさが、大人としての劉邦の処世判断をますほどに越えてしまったいた。人々が劉邦を好む髄ずいのようなものは、彼の中にある多量の子供っぽさといってよかったが、それにしてもこの場合はひどすぎた。随何が鼻を高くして帰城し、劉邦に報告した時、
(このしゃっ面つらめが)
と小面憎こづらにくく思った。その感情のまま随何の戦利品・・・である黥布に会ってしまい、しかも足を洗わせつづけたままであったのである。
劉邦の儒者ぎらいのひどさは、天下が劉邦の手にころがりこんだあと、黥布を相当に遇したが、随何にだけは何の沙汰もおこなわなかったことでもわかる。
随何はそれでも忠恕ちゅうじょを建前として黙って仕えていたが、ある時酒宴で劉邦が酔ったまぎれに、
「隨何などという腐儒ふじゅに何が出来よう」
と、暴言を吐いた。随何は依然と似たような、宴席を取り仕切る仕事をしていたが、この時ばかりはたまりかね、劉邦の前に進み出て、
「昔のことをいうようでございますが」
と、まず劉邦の彭城ほうじょう攻撃の頃のことを例として持ちだした。項羽が斉せいへ北伐してその首都彭城を留守にしていた時、劉邦は直進してそれを一時陥落させた。この時南の方に九江王黥布がいた。
劉邦にすれば当然別働軍を派遣して黥布をもくつがえすべきであったが、その余力がなかった。「もし」と、随何が言う。陛下に余力があったとして、
「歩兵五万、騎兵五千という軍勢を発して黥布へ差し向けたと仮になさいますように、あの時の陛下に黥布をくつがえすお力があったでしょうか」
随何らしい込入った仮定である。
劉邦は自分の実力については正直な男で、たとえ話が過去の仮定であっても、法螺ほらは吹かなかった。しばらく考えてから、
「なかった」
と、言った。
ということは、黥布の価値は歩兵五万、騎兵五千以上であるということを劉邦が認めたことになる。
その黥布を、随何は口一つで漢軍の陣営に連れて来た。その功績を軍勢の人数に換算すれば右の数字以上ということになるではないか、ということを、随何はべつに功を誇る気色もなく、ただ例の癖で論理を立て、修辞をつかい、しつこく言いかさねた。
劉邦は敗けてしまい、随何にあやまって、彼を護軍中尉ごぐんちゅういという官職につけた。
劉邦が足を洗わせていたくだりでの黥布げいふは、たしかに自殺を想った。
ただ引見を終え、あたえられた宿舎に入ってみると、屋内の構造、調度品、朝夕の料理、従官ことごとくが劉邦のそれと同じことであるころがわかり、劉邦の自分に対する手厚さを知って大いに喜んだ。面子メンツを保ったということであろう。
ついでながら、黥布はその妻子を九江きゅうこうに置き去りにして来た。項羽は九江に兵を入れ、それらを一人残らず殺してしまっている。
黥布の賭かけは、高くついた。
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2020/05/28 |
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