~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅷ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
斉の七十余城 (十三)
その尽きぬうちに、酈生れきせいせい王によってられてしまった。
豚などを烹る料理用の大きな青銅製のかなえ臨淄りんしの広場に据え、水を張り、素裸の酈生を放り込んで、下から火をくのである。
「斉で食っただけの肉を斉に返すのか」
酈生は縛られて首だけを自ら上に出しながら、あざ笑った。
韓信かんしんの軍が黄河の西方に現れたという報が斉の宮廷に入ったのと、大挙してわたったという報とが、相次いだ。無防備の平原へいげん城はたちまち陥ち、れき城も半日で韓信のゆうになった。あとは潮のように臨淄に迫ろうとしている。
斉王も田横も、これを関連した一つの詭計きけいとみた。酈生がだましに来て斉人に油断させ、その隙に韓信が攻め込む、ということであり、結果としてはそうに違いない。
が、酈生はそのつもりではなかった。
韓信にもそのつもりではなかった。
彼は行軍してきて斉に近づいた時、かねて斉に放ってあった諜者ちょうじゃたちが相次いで戻って来て酈生が臨淄に来ている事だけを告げ、その用件が平和会談であること、その結果、平和に決した、ということなども、つぎつぎに報じた。
「では、軍をちょうの地でとどめよう」
韓信はいったんはそのように決定し、そのあと気を変えさせられた。変えさせたのは韓信の幕営に新たに加わった遊士で、蒯通かいとうという縦横家じゅうおうかであった。彼は古い戦国の詭弁や詭計がまだ通用するものと信じ、多年研究してそれに関する八十一編の文章を書いた。
ただそういう縦横術を劉邦や項羽は用いてくれず、混乱の世をさ迷っていたのが、ついに韓信を見出し、その謀士となった。
韓信という軍事的天才は、脳のその部分だけ白っぽいほどに政略の感覚に欠けていた。彼は蒯通の縦横術を政略術ふぁと思い、深く信じた。
「酈生は腐れ儒者にすぎません」
と蒯通はまず言い、
「なるほど彼は舌一枚でもって斉をくだしてしまいました。しかし、彼の成功を賞揚すれば軍事が軽んじられるようになります。すなわち将軍の功など、儒者の舌一枚にも劣るということになれば漢そのものが腐敗しましょう。今斉を攻めれば漢の精はすくわれ、攻めねば漢におよぼす無形の災禍ははかり知れませぬ」
と、結んだ。韓信は蒯通の意見を容れ、平原のわたしを渉ってしまったのである。

せい王も田横でんおうも、ちりぢりに逃げるしかない。逃げるにあたり、斉王みずからかなえの前に来て、
「このうそつきめ」
と、酈生れきせいを罵ったあげく、嘘でないとするなら韓信の来襲を制止してみろ、制止出来れば鼎から出してやる、と言った。
ろ」
酈生は言った。
わしがあんたの前で述べた言葉はことごとく真実だ。あんたはこの酈生のまなこ・・・を見、言葉を聞いた。それでもなおわしとう人間がわからずに烹ようとしている。つまり腐った人間ということだが、そういう男に命乞いをするためにわしは韓信の陣営へ行こうとは思わぬ。韓信はいいやつだ。それ以上に、この俺はいいおとこだ。士とは絶体絶命の境地に来てはじめて真価のわかるものだが、今自分の命の惜しさに韓信のもとに行けばわしは士ではなくなる。烹ろ。烹っれることによって士になりうるのだ」
と言って、つばを吐きかけた。
酈生は、烹られた。
斉王も田横も戦わずして逃げ、斉は韓信によって占領された。
2020/06/27