~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅷ』 ~ ~
 
==項 羽 と 劉 邦==
著者:司馬 遼太郎
発行所:㈱ 新 潮 社
 
平国侯の逐電 (十四)
やがて王侯は楚城を辞した。
楚城で演じて見せたかれの思想、語った言葉は、すべて侯公の本心ではなかった。要するに項羽を安心させるためであり、談判を成功させるための演技にすぎなかった。侯公が自らを賭けてつかみ取ろうとしたのは、弁士としての成功だけであり、他の相手ならば彼は他の自分と思想を演出したに違いなかった。
劉邦は呼びあがるようにして喜び、侯公の手をとって、
あなたのおかげだ」
と、言った。劉邦が軽率なまでに ── 自軍の弱点をさらけだしてまでに ── この種の成功を喜んだのは、この時ぐらいだったかも知れない。それほどにこの時期の劉邦は、心身ともに弱っていたともいえる。
やがて日を期して、楚軍から劉邦のもとに、彼の父と妻が送り返されて来た。漢兵はこれを見て山をゆるがすほどにどよめき、何度も万歳を叫んだ。
劉邦の喜びは、侯公への大きな褒賞としてわらわあれた。一躍、侯公に諸侯の待遇を与え、
平国へいこく侯」
という尊称をさずけた。
── これで、この侯公様も劉邦のひげ・・ちり・・を払う身におちぶれたわ。
と、侯公は言いつつも嬉しさを隠し得ず、いつもは客館の片隅で独りごとばかり言っていた男が、山を降り成杲せいこう城で他人の車を借り、乗り心地をためしてみた。諸侯は車を許される。しかし侯公は爵を賜ったばかりで車を持っておらず、借り車を乗りまさすことによって気分を味わってみたのである。
客たちは、不愉快に思った。
── なんだ、あいつ。
と、非難の声が高くなった。客たる者は栄爵を思うなとか、無私に徹せよ、とか、客はついに客であることが目的である、などとおのれひとりを高しとして他を軽侮けいぶしていた男が一朝にして変節してしまった。
客たちは侯公を攻撃して争鳴し、ついには劉邦の側近に侯公の平素の言動を告げて、
── 彼に栄爵を与えれば国を傾けるでしょう。
という者もいた。
ちょっと信じ難いことだが、侯公は賜爵ししゃく後、ほんの数日して山上から居なくなった。劉邦は人をやって成杲せいこう城内を探させたが、見つからなかった。逐電ちくでんしたのである。

さすがにあの厚顔の男もじたのだろう、という者もいたが、日を経るにつれて同情者もふえてきた。侯公の目的は人事に通じたかっただけであるという。車に乗ったのも諸侯の気分を他人ひと事のように味わってみたかっただけで、もともと長居をする気はなかった。また侯公にすれば天下を二つに分けるという大仕事をやっただけで、その才能を十分に表現できた。それだけで彼は満足しており、その結果としての受爵は余分だった。これを断れば漢王をあなどることになり、かえって身をそこないかねず、このため黙って逃げた。車を乗りまわしたのも、茶目なところのあった侯公は、成功で得た余分・・なものを子供っぽく愉しんでいただけだったというのである。

しかし、真相はどうもちがうらしい。
「侯公はその平素の思想からみて、国を傾ける男になる」
というのは、客たちの中傷以前から劉邦の耳に入っていた。劉邦はそれでもこの喜びを受爵であらわそうとし、側近に尊称を選ばせた。
「平国侯」
というのは傾国侯という言葉の裏返しにすぎない。少なくともその言葉を踏まえてのことで、尊称そのものに劉邦の強い警戒心と皮肉が毒のように入っていた。そのことを侯公自身が気づき、他日平和が来た時に害されることをおそれ、いち早く逐電した、という。
もしそうであれば、蒯通かいとうに似ている。蒯通は韓信かんしんに独立をすすめてれられないとなると他日害されることをおそれ、逃げ出してもとの放浪者にもどった。
この二人の弁士は親友であるだけでなく、人間として平仄ひょうそくがどこか合っていて、二人で一首の詩になりそうなところがあった。となると、平国侯侯公の逐電の真相は右にちかいのではないか。
2020/08/04