軍事教育において当然あるべきはずなのに、武士道の教育ではあえて外されていたものが数学であった。だが、これは封建時代の戦闘が科学的な正確さをもって戦われなかったという事実によって、一応の説明がつくであろう。そればかりか、サムライの教育全体から見ても、数学的概念を育てることは芳しくなかったのである。
それは武士道が損得勘定を考えず、むしろ貧困を誇るからである。武士道にあっては、ヴェンディウス(シェークスピア劇の登場人物)がいうように、「武人の徳である功名心は、名を汚す利益よりも、むしろ損失を選ぶ」ものだった。かのドン・キホーテが黄金や領土よりも、彼の錆さびついた槍とやせこけたロバを誇りとした、ようにである。わがサムライは、この誇大妄想に取りつかれたラ・マンチャの騎士に、心から同情するのである。
武士は金銭そのものを忌いみ嫌う。金儲けや蓄財を賤いやしむ。武士にとってそれは真に汚れた利益だったからだ。時代の敗退を歎く決まり文句は「文臣銭を愛し、武臣命を惜しむ」というものである。黄金や生命を惜しむ者は非難の的となり、これらを惜しみなく投げ出す者こそ賞賛された。よく知られた格言にも「何よりも金銭を惜しんではならない。富は智恵を妨げる」というのがある。したがって武士の子は、経済のことはまったく無縁に育てられた。経済のことを口にすることは下品とされ、金銭の価値を知らないことはむしろ育ちのよい証拠だった。
もちろん数学の知識は、軍勢を集め、恩賞や知行ちぎょうを分配する際には必要だったが、それでも金銭の勘定は身分の低い者にっ任された。多くの藩でも藩の財政は下級武士や僧侶が管理した。思慮深い武士は誰もが軍資金の意義を十分に知っていたが、それでも金銭の価値を徳にまで高めようとは考えなかったのである。
武士道が倹約の徳を説いたのは事実である。だがそれは経済的な理由からではなく、むしろ節制の訓練のためだった。贅沢ぜいたくは人間を堕落させる最大の敵と見なされ、生活を簡素化する事こそ武士階級の慣ならわしであった。それゆえに多くの藩では倹約令が施行されたのだ。
書物によれば、古代ローマでは収税吏や財政担当の役人が次第に武士の位にまで昇進し、その結果、国家は彼らの職務や金銭そのものの重要性を高く評価するようになった。だが、そのことが古代ローマ人の贅沢や貪欲どんよくに、どれほど密接に結びついていたことか。わが武士道ではけっしてそういうことはなかった。サムライは一貫して金銭勘定は卑しいもの、すなわち道徳的な職務や知的職務に比べれば卑賤なもの、として考えたのである。
このように金銭や貪欲さを嫌ったことで、武士道を信奉するサムライたちは金銭から生じる無数の悪徳から免れたのである。わが国の役人が長い間、腐敗から遠ざかっていたのは、ひとえにこのお陰である。だが、悲しいかな、現代においては、何と急速に金権腐敗政治がはびこってきたことか! |
2020/09/14 |
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