~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 武 士 道 ==
著 者:新渡戸 稲造
訳:岬 龍一郎
発 行 所:PHP研究所
 
● 克己の理想は心を平静に保つこと
私たち日本人が苦痛に耐え、死を怖れないのは、神経の細やかさが欠けているからだと言われて来た。その限りにおいてはありそうなことである。しかしそれならば、なぜ私たちの神経は、それほど張りつめていないのか。日本の気候風土がアメリカほど刺激的でないことも一因かも知れない。あるいは日本の君主制がフランスの共和制ほど国民を興奮させないからかも知れない。私たちがイギリス人ほど熱心にカーライルの『衣服哲学』を読まないからかも知れない。だが、私個人としては、日本人が非常に激しやすく、感じやすいために、常に自制を意識し、強制する必要があったからだと思うのである。しかし、どのような説明をしたところで、長い年月における克己の鍛錬を考慮に入れなければ、どれも正しい説明とはいえないだろう。
克己の鍛錬はときとして度を過ごしやすい。それは魂の溌溂はつらつたる流れを押さえつけることもあるし、本来の素直な性質を無理やり、ゆがんだものにすることもあり得る。頑固さを生んだり、偽善者を育てたり、愛情を鈍らせることもある。どんなに高尚な德にも、その反面があり、偽物が存在する。私たちはそれぞれの徳の中に、それ自体のすぐれた美点を認め、その絶対的な理想を追求しなければならない。そして克己の理想とは、日本人の表現でいえば、常に心を平静に保つことである。あるいはギリシャ語の表現を借りるならば、デモクリトスが再興善と叫んだ「エウテミア」(内心の平安)の状態に達することである。
次の章で私は、自殺(切腹)と復讐(敵討かたきうち)の制度を考察するが、その前者において克己は極致に達成され、もっとも見事に示されている。
2020/09/15
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