~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 武 士 道 ==
著 者:新渡戸 稲造
訳:岬 龍一郎
発 行 所:PHP研究所
 
● 桜と武士道は「大和魂」の象徴
武士道の精神があらゆる社会階層に行き渡っていた証拠は、「男伊達おとこだて」と呼ばれたある特定階級の俠客きょうかくの親分、すなわち民衆の中で育ったリーダーの存在によって見ることが出来る。彼らは義侠心に富んだ男たちで、身体全身から堂々とした男らしさをみなぎらせていた。彼らは民衆の権利の代弁者として保護者を兼ね、それぞれ数百、数千の子分を従えていた。そして子分たちは、あたかも武士が「大名」に忠誠を誓うように、「わが身体と全財産、およびこの世の名誉」を親分に預けて仕えた。これら市井しせいの荒くれ無頼たちの支持を受けた生まれながらの「親分」たちは、二本差しを振りまわす武士階級の専横に対して、恐るべき抑止力を持つ一団を形成していた。
武士道は、その生みの親である武士階級からさまざまな経路をたどって流れ出し、大衆の間で酵母として発酵し、日本人全体に道徳律の基準を提供したのだ。もともとエリートである武士階級の栄光として登場したものであったが、やがて国民全体の憧れとなり、その精神となったのである。もちろん大衆はサムライの道徳的高みまでは到達出来なかったが、武士道精神を表す「大和やまとだましい(日本人の魂)という言葉は、ついにこの島国の民族精神エートスを象徴する言葉となったのだった。
もし、マシュー・アーノルド(英国の批評家)が定義するように、宗教が「情念の影響を受けた道徳」にすぎないとすれば、世界に武士道ほど宗教と同列の資格を与えられた道徳体系はない、といっていいだろう。
本居宣長は国民の声なき声を言葉にしてこう詠んでいる。
敷島しきしまの 大和心を 人はば
朝日ににほふ 山桜花
まったくその通りだ。「桜」こそは古来からわが日本民族がもっとも愛した花である。それは国民性の象徴でもあった。とくに宣長が用いた下の句の「朝日に匂ふ山桜花」に刮目して欲しい。
桜はひ弱い栽培植物ではない。自然に生える野生の項目草木であり、わが国固有のものである。その付随的な性質は他国の花と共通するかも知れないが、その本質においては、あくまでわが風土に自生する自然の所産である。しかし、私たちはそれが原産だからとの理由で、桜花に愛情を感じているのではない。その花の持つ洗練された美しさ、そして気品に、ほかのどの花からも得ることの出来ない、「私たち日本人」の美的感覚を刺激されるのである。
ヨーロッパ人はバラの花を賞賛するが、私たち日本人はそれを共有する感覚は持ち合わせていない。バラには桜花の持つ簡素な純真さに欠けている。それだけではない、バラはその甘美さの陰にトゲを隠し、執拗しつように生命にしがみつく。まるで死を怖れるがごとく、散り果てるよりも、枝についたまま朽ちることを好むかのようにである。しかもバラは華美な色彩と濃厚な香を漂わせる。いじれをとっても桜花にはない特性である。
私たちの愛する桜花は、その美しい装いの陰に、トゲや毒を隠し持ってはいない。自然のなすがままにいつでもその生命を捨てる覚悟がある。その色はけっして派手さを誇らず、その淡い匂いは人を飽きさせない。草花の色彩や形は外観だけのもので固定的な性質である。だが、あたりに漂う芳香には揮発きはつ性があり、あたかも生命の息吹のように、はかなく天に昇る。それゆえにあらゆる宗教的な儀式において、乳香と没薬もつやくは重要な役割を演じるのである。香りにはどこか霊的な働きがある。
太陽が極東の島々を照らし、桜の芳しい香りが朝の空気を生き返らせるとき、このうるわしい息吹を胸一杯に満たす時ほど、さわやかな澄んだ感覚を覚えることはまずないであろう。『旧約聖書』には、創造主みずからが、甘い香りをかいで、その御心に新たな決意を固められたと記されている。そうだとすれば、桜の花の匂う季節に、すべての国民が小さな家々から誘い出されて、その空気に触れることになんの不思議があろうか。彼らの手足がしばしの苦労を忘れ、心の苦しみや悲哀をどこかに置き去ったとしても、それは咎めるには値しない。その束の間の楽しみが終われば、彼らはまた新たなる力と満たされた心を持って、日々の仕事へ戻っていくのだ。このようないくつもの理由から、桜はわが日本民族の花となったのである。
ならば、これほど美しく、かつはかなく、風の吹くままに舞い散り、ほんの一瞬、香を放ち、永久に消え去っていくこの花が「大和魂」の典型なのか。日本人の魂はこのようにもろく、滅びやすいものなのだろうか。
2020/09/19