~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 武 士 道 ==
著 者:新渡戸 稲造
訳:岬 龍一郎
発 行 所:PHP研究所
 
● 孔子を源泉とする武士道の道徳律
武士道は、道徳的な教義に関しては、孔子の教えがもっとも豊かな源泉となった。君臣、親子、夫婦、長幼、朋友ほうゆうについての「五倫」は、儒教の書物が中国からもたらされる以前から、日本人の民族的本能が認めていたものであって、それを確認したに過ぎなかった。冷静で穏和な、しかも世故にけた孔子の政治道徳の教えは、支配階級のサムライにとってはとりわけふさわしいものであった。孔子の貴族的で保守的な教訓は、武士階級の要求に著しく適合したのだった。
加えて孔子についで孟子の教えは、さらに武士道に大いなる権威をもたらした。
孟子の強烈で、ときには極めて民主的な理論は、気概や思いやりのある性質の人にはとくに好かれた。だがその理論は、一面、封建的な秩序社会をくつがえす危険思想とも受け取られ、彼の書物は長い間、禁書とされた。にもかかわらず、この優れた思想家の言葉は、サムライの心の中に不変の位置を占めていったのである。
孔子と孟子の著者は、若者にとってが主要な人生の教科書となり大人の間では議論の時の最高の権威となった。だが、単にこの二人の古典を知っているだけでは「論語読みの論語知らず」とのことわざが生まれたように、それは冷笑の対象とされ、西郷隆盛などは「書物の虫」としてさげすんでいる。
あるいはまた三浦梅園などは、学問を青臭い野菜にたとえ、「青菜はその青臭さを取り除くために何度もでなければならない。少ししか読書をしない者は少し学者臭く、大いに読書している者はさらに学者臭く、どちらも同じように困り者である」と言った。梅園が言おうとした真意は、知識というものは、これを学ぶ者が心に同化させ、その人の品性に表われて初めて真の知識となる、ということである。だから知的専門家は単なる機械だと見られた。要するに知性は行動として表れる道徳的行為に従属するものと考えられたのである。
儒教では人間と宇宙とはひとしく精神的かつ道徳的なものであるとされた。それ故に、宇宙の運行と道徳とは無関係だとするハクスリー(英国の生物学者)の見解を、武士道は否定する。
武士道は知識を重んじるものではない。重んずるのは行動である。したがって知識はそれ自体が目的とはならず、あくまで知恵を得るための手段でなければならなかった。単に知識だけを持つ者は、求めに応じて詩歌や格言を作り出す“便利な機械”としか見られなかったのだ。
2020/08/23
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