~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 武 士 道 ==
著 者:新渡戸 稲造
訳:岬 龍一郎
発 行 所:PHP研究所
 
● 義は人の道也
「義」は、武士の掟の中で、最も厳格な徳目である。サムライにとって卑劣なる行動、不正なふるまいほどいままわしいものはない。この義の観念は間違っているかも知れないし、おそらく概念としては狭すぎるであろう。
林子平は、これを決断する力と定義して、「義は自分の身の処し方を道理に従ってためらわずに決断する力である。死すべき時には死に、討つべき時には討つことである」と語っている。あるいは、真木和泉守いずみのかみという武士は、「武士の重んずるところは節義である。節義とは人の体にたとえれば骨に当たる。骨がなければ首も正しく上に載ってはいられない。手も動かず、足も立たない。だから人は才能や学問があったとしても、節義がなければ武士ではない。節義さえあれば社交の才など取るに足らないものだ」と述べている。
「仁は人の良心なり、義は人の道なり」といった孟子が、その「仁」と「義」がすたれた世を見て嘆き、こういったという「その道を捨てず顧みず、その心をなくしても求めようともしない。哀しいかな。鶏や犬がいなくなっても探すことは出来るが、心をなくしては探しようがない」と。
このことは、孟子に遅れること三百年後、別の地において、みずからの道を“義の道”と叫び、「われに従えば、失われたものを見出すことが出来るだろう」と言われた、偉大な師イエス・キリストの言葉を、私たちは鏡を見る如く思い出すであろう。余談に入ってしまったが、要するに、孟子によれば「義」とは、人が失われた楽園を取り戻すために通らねばならない、真っすぐな狭い道のことである。
封建制の末期になると、泰平の世が長く続いたために、武士階級の生活にも余裕が生じ、それにともないあらゆる種類の遊興や芸事がはやりはじめた。だがそんな時代でさえ、「義士」と呼び名は、学問や芸術の熟達を意味するいかなる言葉よりも「優れたる者」と考えられた。わが国の大衆教育にとりわけよく引用される『忠臣蔵』の武士たちは、俗に「四十七人の義士」として知られている。狡猾こうかつな策略が軍事的な戦略として、あるいは真っ赤な嘘が戦術としてまかり通っていた時代に、この率直で、正直で、男らしい徳は、最高に光り輝く宝石であり、日本人がもっとも高く称賛する対象だったのである。
2020/0825
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