~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 武 士 道 ==
著 者:新渡戸 稲造
訳:岬 龍一郎
発 行 所:PHP研究所
 
● なぜ武士は銭勘定を嫌ったか
私はいま、武士道の「誠」について語っている。ここで日本人の商業道徳について触れておくのも、的外まとはずれではないだろう。というのも、この点については外国の書籍や新聞から多くに不満を聞いているからだ。
たしかに、日本人のいい加減な商業道徳はわが国の評判を落す最大のものだった。だが、これを性急に責めたり、もしくはそのために日本人全体を非難するより前に、少し冷静に考えてみようではないか。そうすれば私たちは将来においての安心が得られるだろう。
人の世におけるすべての立派な職業の中で、商業ほど武士とかけ離れたものはなかった。日本では商行は士農工商の職業分類上でもっとも下の地位に置かれていた。武士はその所得を土地から得ていたし、その気になれば素人農業に従事することも出来た。だが、銭の勘定ごとと算盤そろばんは徹底的に嫌っていた。
なぜこのような配慮がなされたかを私たちは知っている。それはモンテスキューが明らかにしているように、貴族を商業から遠ざけておくことは、富が権力者に集中することを防ぐための誉められるべき政策だったからである。権力と富の分離は、富の分配をより公平に近づけることに役立った。『西ローマ帝国最後の時代』の智者であるディル教授は、ローマ帝国衰亡の原因が、貴族が商業に従事することを許し、その結果、少数の元老の家系が富と権力を独占したことによって生じたことを教えてくれている。
それゆえに、封建時代における日本の商業は、もっと自由な状況下であれば到達したはずであろう段階までは発展しなかった。そのためか、この商業に対する侮蔑は、おのずから社会の評判など気にしないような無頼ぶらの徒を集めることになった。
「人を泥棒と呼べば、彼は盗むであろう」という格言がある。一つの職業に汚名を与えれば、これに従事する者はおのじからその道徳をそれに合わせるという意味である。ヒュー・ブラックが言うように「正常な良心はそれに対して要求される高さまで上がり、それに対して期待された水準の限界にまでたやすく落ちる」のは、ごく自然のことである。商業であれ、他のどんな仕事であれ、なんらかの道徳律なくしては取引など成立たないのである。
むろん封建時代のわが国の商人たちも、仲間内で取り決めた道徳律があった。またそれがなかったら、たとえ未熟な経済状況であっても、同業組合や銀行、取引所、保険、手形、為替かわせなどの基本的な商業制度を発達させることは決して出来なかったであろう。だが、彼ら商人たちは、世評通りの最下層の身分に甘んじて生きたのであった。
そうした事情があったためか、日本が幕末になって外国貿易を始めた時、開港した港に駆けつけたのは一儲けをたくらむ無節操なやからばかりだった。篤実とくじつな商人たちに幕府が港に支点を開くように要請しても、彼らは再三断りつづけていた。
では武士道は、この時代に商業上の不名誉な流れをくい止めるのに無力だったのか。この点を考えてみよう。
2020/0909
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