~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 『女 人 平 家 (上) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
牡 丹 の 客 (四)
── 牡丹の客の翌日の朝、露を含むその切花を盛り上げた籠を忠盛は皇太后美福門院に献上のため大宮御所に参内した。美福門院得子とくこは鳥羽法皇の后、当今とうぎん(近衛天皇)の御母であり、忠盛はわが立身出世の女神とも思っている。
牡丹の花籠に御機嫌うるわしい得子はいま七歳の幼帝の御母として、二十九歳とはいえまだ牡丹花を贈られるにふさわしい豊艶な顔立ちだった。
「六波羅のこの花に今年初めて招かれた兵部権大輔ひょうぶごんのたゆう平時信の室が昨夕立ち寄り、告げました。同伴の娘時子を『若殿が蓬姫と仰せられた』とな」
忠盛はそんなことはなにも知らなかった。
「時子の生母は大膳大夫だいぜんのだいぶ藤原家範のむすめで時子とその弟二人を残して世を早く去ったそのあとへ、かつて内裏だいりでわがもとにつかえし女房の民部卿藤原顕頼あきよりの女裕子ゆうこ後添のちぞいの室となり、さぬ仲の子たちを育て、いまもわが子となんのへだてもなくいつくしんであっぱれな者、昨日も六波羅へ新しい衣装を着せて継娘を連れて行ったという優しいひとよ」
「それは兵部権大輔殿、よき室を迎えられましたな」
忠盛は調子を合わす。
「昔の女房の育てた娘はこの身にもゆかりのあるもの、どうであろう、その時子を清盛の北の方に入れては・・・生さぬ仲だけによきところに嫁がせたいと、ことさら心を砕く母心を知るとあわれでならぬ。時子は安芸守あきのかみ(清盛)北の方のつとめを立派に果たせる賢い娘と思う」
忠盛は声もなく「ハッ」と平伏した。
─ ─ 彼は六波羅へ帰ると、まず」妻の房子にこのことを告げた。
「平時信家はともあれ公卿じゃ。同じ桓武平氏の系統にも当たる。まずよかろう」
「公卿と申せ、まことに末流の地下じげの公卿ではございませぬか」
“地下の公卿”とは、公卿であってもまだ昇殿を許されぬ階級を言う。
「そのような低い公卿よりも武士の棟梁とうりょうとしてこの平家がはるかに立ちまさって居りましょう。これは不釣合いで不足に思われます」
「とは申せ、美福門院のお声がかりじゃ、いやおうもあるまい」
院政を握る上皇の寵姫、そして現天皇の御生母の言葉は命令に等しい。
やがて清盛が呼ばれて、父から委細を聞かされた。
「不服かも知れぬが、そちが牡丹の園でかるがるしく言葉を交わしたのがあやまちじゃ」
「なんのあやまちでありましょう。気に入ったから声をかけると、打てば響くおもしろさ。あれを妻にするとあらば不服はありませぬ」
あっさり言うので、忠盛や房子も拍子ぬけだった・・・・。
2020/09/29