~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 『女 人 平 家 (上) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
仙 洞 御 所 の 庭 (三)
数日ののち、時子は後白河上皇の御所法住寺殿に妹滋子を訪れた。この、仙洞御所のある地域は、南は八条通北は七条より北にのび、東は東山山麓、西は大和大路に及ぶまでの広大な地を占めて、そのなかに上皇院政の院庁が置かれ、蔵人所、召次所、院守護の武者所、御随身所から細工所、御服所などすべて備えられている。その地域の一部に法住寺があるので御所はその名がつく。
上皇の寵愛深い滋子は憲仁親王の生母として、東の御方と呼ばれ御所内に華やぎ、恵まれた日を送っている。
清盛は上皇の寵を得て皇子の母となった義妹を上皇と自分の間の安全弁としたかったので、時子にもときおり妹を訪れるように望んだが、時子はそうした下心で妹のご機嫌伺いに行くのを恥じた。
姉妹の情で会いたい、話したいと思う時だけ、いかめしい院の御門をくぐるべきだと、日頃はひかえていた時子は、その日妹に語りたいことがあって出かけたのである。母はちがっても、幼い時から妹として愛した滋子は時子の信頼すべき身内だった。弟の時忠より滋子の方が世俗に染まず純粋だと思う。
時子は阿紗伎と警護の武士を供に、牛車で法住寺殿に向かった。滋子の侍女たちへの心付の包みもゆたかに持参した。
滋子は久しぶりに姉に会うのを喜び迎えた。
「西八条の邸もそのうちに見たいものと思います」
と、まず姉たちの新居落成へ祝意を表した。滋子の身分では、御所からの外出は軽々しく出来なかった。
「いずれはよき折に、上皇さまの御幸を仰ぐこともあろうゆえ」
良人は必ずその機会をつくると時子は思う。
姉妹は末娘が嫁いだ宗盛夫妻の睦まじさから、いま出雲に流人の時忠の噂に及んだ。流人とは言え清盛の保護の手がのびて都の姉妹に消息も交わせる。滋子はわが皇子のためを計って、とがめられた兄へときおり物品も送り届けている。
こうした話もすむと滋子は院の庭園へ姉を案内して出た。わらわたち侍女数人お供に従う。
広大な庭園は内苑と外苑に区切られ、外苑は自然の森林を取り入れた木立の遠景の空に、上皇の信仰のあつい不動尊造をまつる堂の甍が聳える。内苑は女性的に人工化された回遊式庭園で、前栽には五葉の松、紅梅、桜、花橘、呉竹くれたけ、池への小径のほとりは撫子なでしこ、菊、山吹、卯の花垣も結ばれて春秋の草花、池には菖蒲生いしげるなかに、石の八橋、その上に藤棚。池の対岸の岩組から細い滝が落ちる ── その風景を前に橋殿と呼ばれる四阿あずまやがある。
その手前で滋子は、数歩さがって付いて来る女の童たちに「そなたたちは、そのあたりにひかえるように」と命じた。
滋子は姉が訪れたのは二人だけで語りたい何かの問題が胸にあってであろうと、賢くも推察していたのだった。
いつも拭きみがかれている四阿の掛板の円座に腰をおろして姉妹は向かい合う。
「このたび盛子は六条摂政の後添いにと望まれました」
「まだ幼い二の姫を特にお望みとは・・・」
「── 六条殿には生母が今も仕えて居ります・・・」
そのことを滋子はかつて兄の時忠から委しく聞いていた。彼は義兄の女性関係については時には後始末の引き受け役まで果たす才覚者だったから。
「それも、かえってよろしいではございませぬか。いずれは姫方は良縁を得てゆかれるはず。そのはじめが摂関家の嫡子とは、さい先のよきこと」
滋子は姉よりも現実的に、ものごとを割り切る。姉が盛子を幼くて手離すのをたゆたう様子を察して、次に語気を強めた。
「あの姫には生母の執念がかかって居ります。六条家に早う輿入れおあさせなさいまし。と申すのは姉上も御存じなき秘事を、わたくしは兄上(時忠)から聞かされたゆえでございます」
時子は何事かと驚かされて息を呑む。
「盛子の生母、六条家の女房はあの出産に双子ふたごを生んで居ります。双子の姉妹のさだめは、先に生れたのが妹、あとになったのが姉とか、それで姉の盛子が姉上のお手に渡され、妹は生母と縁を断って東山ふもと吉田の里の尼寺の養女にやられたと申します。陰陽師のうらないで、その年の双子をいっしょに育てれば災禍一族に及ぶ、一人は出家させよと・・・それに一人ならず二人まで、六波羅の北の方へ厚かましくもお引き取り願えなかったのでございましょう。さすがにまた義兄上も・・・・」
滋子はほろ苦く微笑した。
「その尼寺へやられた子は今も息災で」
時子はその子が良人の血を受けながら、盛子とあまりに異なる運命にあわれを覚えて、聞きすてならず重く心にかかった。
「義兄上からもゆたかな寺領の田畑が寄進されたその尼寺で大切に育てられ、やがては美しい尼君になられましょう。盛姫の生母も一人は姉上に取られ、一人は尼寺へとあっては、盛姫をせめて六条家へ輿入れをと願うも無理ならぬ思いではございませぬか」
滋子が姉にその決断をうながすために言葉を尽くすと、時子もうなずいて見せた。
姉妹はしばらく沈黙・・・・池の向こうの小滝の水音がかすかにひびくだけだった。
2020/10/17