~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 『女 人 平 家 (上) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
新 珠 (四)
西の対屋へは佑子のものが運び込まれた。金襴の袋に納めた一面の琴と持仏じぶつお納めた小さな厨子が大事に運び込まれる。それは尼寺を出る時、老尼が寺宝の“村雲”の銘のある筝と水晶の観音像を餞別に贈ったものだった。老尼は筝の名手でもあったのだ。その他の見事な調度品や衣類は時子が佑子を迎えるために用意したものだ。それに乳母もつけた。それは時子の出産の時の助産婦役を勤めた汐戸だった。この老女なら佑子の立場も理解し手落ちなく勤めると思ったからだった。しかも典子に乳をあげて以来付き添う若い乳母の安良井やすらいは汐戸の娘だった。やすという名だったのを、典子の乳母になった時に時子から安良井という名を貰ったのだった。身体が健やかで利発なところから乳母に選ばれた彼女は、北の方御実子の典子に付いているのを誇って佑子を軽視する心配もない。母は佑子付の乳母だし・・・時の配慮はこのように用意周到だった。
いよいよ佑子を対屋に招き入れて母と娘の対話に心を通わせる最初のいとぐちを開いた。
「今までの比丘尼びくにのお寺とはあまりにもちがうところへ移られて、さじかし気づかいが多いとは思うが、まだ幼いゆえ馴れも早いであろう。それにしてもお寺ではどのようにして暮らされたかの」
「はい、朝はの刻(五時)に起きてお掃除をいたしました」
つつましやかな姿態だが、言葉は年齢より大人びてはっきりとしていた。
「お掃除とは須弥壇しゅみだん(仏像安置の壇)をな」
「いいえ、それは庵主さまがなされます。わたくしは御本堂の板の間とお縁をき清めるのでございました」
聞くなり時子はまぶたが熱くなった。
この眼の前の美しい華奢な子が、小さな身に小袖の袖にたすきを背に結んで痛々しい素足で雑巾を手に縁板を拭きまわったとは、あまりにもあわれだった。
「京の都の冬の底冷えの頃はさぞかし辛かったであろうに・・・」
「それがみ仏に仕える修業ゆえ、自分の顔の縁に写るほど、よう拭き磨けやと庵主さまに言われました」
先日六条殿に輿入れた盛子と同じ平家の娘と生れながら・・・。時子は思わず抱き寄せてその背を撫でてやりたかった。
「拭き掃除のあとは何を修業なされた」
「ご本堂で庵主さまとお経をあげてお勤めいたします。それから庫裏くりでおとき(僧の食事)を戴きます」
それもおそらく顔のうつるように薄いの一椀であったろうに・・・西八条に迎えられる時のきびしい庵主の法衣に縋って泣いて別れを惜しんだという情の厚い優しさに時子は胸がせまった。
2020/10/19