~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 『女 人 平 家 (上) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
学 び の 友 (四)
筝の指南役の夕霧が良人の休講中、姫たちの自習のお相手にと娘の奈々おともなって現れると、先ず北の方へ御挨拶に奈々を連れてまかり出た。
その奈々を見た時子は、わが子の徳子と同じ年齢とは聞いたが、徳子のあまりにおうような仇気なく子供じみたとは大違いで、すでに女らしくなまめかしい。父の伊行や母の夕霧の間で育っただけに早教育の智恵の発育はさぞかしと思うと、その娘がわが姫たちの学習の相手となれば、これもまた大きな刺戟となるであろうと・・・だが姫たちのうちでも、この奈々と太刀打ち出来るのは、あの佑子であろうか。佑子は平家の館の温室育ちではない強みと天与の賢さを持っているのを、時子は事あるごとに知ったからである。
── 奈々は母夕霧と共に東の対の姫たち上級組の教室の広間に現れた。そこには初めて今日会う奈々に対面の為、西の対の典子も来る。寛子も姉たちと揃って待ち受け、各乳母た日も総出で控えていた。
「娘奈々でございます。ふつつかな娘ながら御勉学やお遊びのお相手をついかまつります」
母に紹介されてて奈々は両手をついてつつかしやかに一礼する物腰も大人びて落ち着いて、ときめく平家の五人の姫の前に出ても、いささかもいじけず、ひるまず、卑屈にもならず、わが身に添う気品を少女ながら凛と保っている。
その奈々を「まあ、なんと不敵な小娘よな」となみいる乳母たちは感嘆の中にやや不愉快な感情を抱いたのは、彼女たちは夕霧の娘の身分では、姫たちの前には当然自らを卑下して身を小さくなすべきだという固定観念を持ったからだった。
夕霧はまず筝の教授を始めた。昌子、徳子、そして佑子と、それにお相手を奈々がつとめるが、その奈々が裕子の絃の一段と冴える音色にはうたれて、その姫にある感動を込めた眼を向けた。
奈々はすでに父から聞き知っていた。九歳までよそで育てられてから西八条の館に初めて迎えられたという清盛公の落胤らくいんの姫とはこの方かと、はっきり見分けられたのである。
上級組が終わると幼い寛子と典子の組となる。
「姉君方のお稽古のお疲れ休みに、奈々をお連れ戴いてお庭をお見せ下されませ。この娘は初めての御見参けんざん、おみごとなお庭をどのように喜びましょう」
夕霧がそれを願うのだった。
姉君たちの乳母たちも、この小娘に西八条の壮大な林泉を見せて驚かせようと、姫たちをうながして対屋を出た。
徳子付きの乳母小檜垣などは、得意満面で奈々へ横柄に語りかけて歩く。
「あの六波羅も御一門揃っての広大なところながら、ここは北の方と姫がたのおわす館として、どこもかしこもこの絵のように美しゅうしつらえてござろう。このお館で姫のお相手にまかり出られるとは果報のことよ」
平家の威を借りて小檜垣はいばりちらす快感に陶酔しているようだった。それを奈々はなんと受け止めていたか・・・小檜垣の饒舌はとめどなく続く。
「六波羅、西八条このほかにも摂津の福原にも御別邸、殿は大輪田のとまり(兵庫港)の大工事でこの頃はいつも福原に御逗留が多くてのう」
奈々は神妙に小檜垣の言葉にうなずいて見せて、
「大輪田の泊は奈良朝時代から舟で栄えた浜と伝えられます。それが今立派に変わりましたら、さぞ宋の船が入って賑わいましょう」
その奈々の大人びた言葉に、佑子が振り返って、
「まあ、奈良朝の頃から?」
「さようでございます。『万葉集』に“浜清み浦うるはしみ神代より、千船の泊る大輪田の浜”とございますのが、ただいまの大輪田の泊のここと父から教えられました」
奈々が答えた。
『万葉集』、わたくしたひまだお習いいたさぬゆえ・・・」
昌子は素直に奈々に感心した。
だが、乳母たちはいずれも不愉快だった。世尊寺殿夫妻はこうして御自慢の娘をお相手に送り込むなら、もう少し姫たちへの知識もわが子に劣らず熱心にお教えするべきではないかと、とかく彼女たちは自分たちのかしずく姫以外の排他思想が烈しいのだった。
奈々はそうとも知らず、父母の面目にかけても愚かな娘と思われ侮られぬよう、八歳の少女涙ぐましいほど気を張り詰めて振る舞ったのだった。
姫たちやその母の時子には、奈々はなんの抵抗もなく受け入れて、その後もたびたび夕霧にともなわれて対屋の姫方のお相手をつとめた。
2020/10/27