~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 『女 人 平 家 (上) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
夜 の 鶴 (三)
直ちに牛車で時子は実家へ ── この歎きの北の方の心中をおしはかって、侍女の阿紗伎あさきが同車する。供の者の他に若殿居館の庶務一切を宰領する難波弥五左衛門が騎馬で郎党を従えて供をする。
左京一条は貴紳の邸宅が多い。時子の母が誇って聞かせたように、時信家は祖父からそこに棲みついた公卿ながら、富の力もなく歳月の垢に古びた寝殿しんでん造りも形ばかり、正面大玄関前を門から隠す衝立ついたてのような立蔀たてじとみだけは、時子の婚約成った際に清盛を迎えるために新しく造らせた木地が白く目立つ。
── 発病後まもなく息絶えた母は病苦にやつれ果てとちがって、すやすやと眠っているかと思えた。その枕もとに滋子が涙も尽きて顔を伏せている。時子は異母妹の背を撫でるよう手をやらずにはいられない。
父の時信は腕を組んで亡妻のあわただしい死に方が気に入らず(不調法の女じゃ)と不機嫌な顔つきに時子には見えた。
その父に代わって二つ下の弟忠時は、母の死を悲しむよりも葬いやその始末を家従と打ち合わせるに落ち着きなく家うちを動いている。もう一人の弟能円は修業中の法勝寺からまだ到着せぬ。
母をつかの間に奪い去った原因は当時“風病”と称された疾患で、脳溢血であったろう。
「たとえ、いのちは絶えずとも、ただ息が通うだけで口も手も動かぬそうじゃ。それでは生きながらの地獄であまりにあわれであろう」
父がそう言うのは、娘の時子や滋子を慰め諦めさせるためでもあったし、また父自身もそういう生ける屍の病妻を抱え込んではたまらぬ気持でもあったろう。
それでも生きていて欲しかったとは、愚痴であろう・・・と時子は思うが、せめてもの心やりは三日前に六波羅を訪れた母と互いに心を通わせて真剣に話し合ったあのひとときが、いまさら身に沁みることだった。
── あたりがにわかにざわめきたった。
「若殿、お渡りになられました」
亡骸安置の場所から遠く控えていた阿紗伎がうろたえたように時子に告げてお出迎えに立つのだった。
まもなく直垂ひたたれさむらい烏帽子えぼしの清盛がこの家の男たちのぞろりとした姿と違って凛々しい姿を現した。直垂は鎧下着にもなるゆえに六波羅の館の武家風俗だった。
岳父がくふの時信も義弟の時忠も礼儀正しく彼を迎えるなかに、清盛はいち早く妻の時子に憐れみをたたえた眼をそそいだ。
「さぞ驚いたであろうな。思いもかけぬ歎きは察するぞ。さきほど館へ帰るなり聞いて取りあえず馬を走らせて来た」
そう言うと、彼は妻の母の亡骸の枕近く身を寄せて膝を正して、しっかりした声で亡き人に語りかけた。
「御息女時子はこの清盛わが最愛の妻として一生しかと連れ添いまする。心おこなく御成仏なされよ」
── 時子はその瞬間瞼を押し上げる熱い涙を覚えた・・・彼女は生涯この時の良人の言葉を忘れなかった。四十年後壇ノ浦で八歳の安徳天皇を抱いて千尋ちひろの海底に沈むその日まで!
── しばらく一座はしいん・・・と静まり声もない。
清盛は妻の異母妹滋子のまだ童女のいたいえない姿に憐憫れんびんの眼を向けて、
「この幼い妹の下にはまだ当歳のがあるはずじゃったな」
「はい、その妹は母の死も知らず、奥にすやすやと寝入って居ります」
時忠がおろおろして義兄に答えた。
「そうか、あわれじゃのう」
清盛はうなずいて、その子たちの父の時信を見やると、その彼は若い後妻に思いもかけず先立たれて、にわかに老衰を来したかのようにけて放心状態だった。
(このような老いぼれの兵部権大輔などにわが妻時子の実家を任しては置けぬわい)と清盛は思う。
彼は岳父時信に向かって、言葉は慇懃いんぎんに述べた。
「今日より妻時子の弟妹は六波羅のこの義兄にお任せありたく、いずれも身の立つように計らい申すべし」
時信は無気力な声で応じた。
「かたじけない・・・・亡き妻もさじかしあの世で安堵いたそう」
── 時子は良人を有難く思うと同時に、わが父の意気地なさを恥じ入る。今までこの家を保ち得たのは、亡き継母裕子のひとかたならぬ努力だったと思うと、今さらにその母の恩が身に沁み、その母への報恩にも異腹の妹二人の後見をしてやらねばと決心した。
その時、この物邸にこもるしめやかな静寂を小さくゆすぶって、奥から嬰児みどりごの泣き声がひびいた。亡き人のこの世の最期に置き残した当歳の郁子の、母の乳を乞う声であろう・・・。
2020/09/30