~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 『女 人 平 家 (上) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
花 の 樹 (三)
清盛の四男知盛とももりが生れたのは仁平にんぺい二年(1152)六波羅の牡丹がようやく咲き初める頃だった。
産室に籠った時子は「この花の季節に生れ出る子は姫こそふさわしい」とひそかにその希望を抱いた。
けれども月満ちて産声うぶごえを強くあげたのはいかにも武家の血統を受けた感じの和子だった。
「六波羅の女人はみな男ばらよの」
姑の房子は陰でつぶやいたのは良人の忠盛の先妻からは清盛、妾腹からは経盛、教盛そして房子自身からも夭死の家盛、その弟頼盛、脇腹からも忠度ただのりと清盛の異母弟五人で男系揃いの実感からだった。
「姫も一人は欲しいと、さよう思召おぼしめされませぬか」
産後のある日時子は良人に聞いた。
「そては申すまでもないことじゃ、美しさ世にもすぐれた姫をさずかりたい。あの名高き藤原道長一家の古今稀なる栄華を誇ったも、もとはと言えば、天皇の外戚がいせき(母后の実家)なればこそよ。長子彰子しょうこは一条帝の中宮となって皇子生誕、つづいて次女妍子けんしも三条天皇の中宮に立つ。長子彰子の生み奉りし皇子が御即位、後一条天皇となられるとその中宮にはこれまた道長の娘威子、まさに一家三后を輩出し、未曾有の外祖父の権を振って狂喜── この世をば我が世とぞ思ふもち月のかけたることのなしと思へば ── と思い上がった一首を詠みも詠んだわ。そうなると姫も生きた宝よ。時子、そなたもやがては心して美しい宝を生んでくれぬか」
清盛の言葉に時子は愕然がくぜんとした。彼女自身が女児生誕を願うのは、良人のような野心のためではない。
── 一家三后の藤原時代も過ぎ去ってすでに久しい、今は昔の語り草となっている。その当時、藤原家の娘たちが父の野心のために入内じゅだい、女御、中宮に立てられたことが、はたしてその娘のために幸福だったか? 時子には疑問だった。
「わたくしはそのような気持ちで姫を欲しいと思うたのではございませぬ。ただいまはこの六波羅に男兄弟の常盤木のみ育つ園に、紅一点の花をずる気持で姫を育てたいあまりでございます」
時子はその抒情からの望みだった。
「なるほど、もっともじゃ、重盛、基盛、そして宗盛、知盛もみな行末たのもしい四本の常盤木と生い立とう。そのなかにひともとの花咲き匂う樹もあっていいのう。ところでその花咲く樹の苗木をそなたの手許に移し植えて育てる気はないかな」
「仰せながら、よその姫を養女に戴いてまで欲しいとは思いませぬ」
「よその子というても、このわしの娘よ」
「えっ!」
時子は二の句がつげぬ。巧みに良人にそこまで誘導された気がする。
「ゆるせよ。生母は産後の肥立ちがわるうてみまかった。せっかくわが子と生れた小さい者を捨てても置けぬ。女児はやはり賢い母によって教え育てられねばと願うからだ。頼むぞ」
“賢い母”などとおだてられても嬉しくもない。
── 今年の早春に病気とて宿下がりした若い侍女があったのを時子は思い当たる。まことに灯台もと暗しであったと・・・・。
一夫多妻は当時の不文律、自分の嫁がぬ以前の過去の女に生れた基盛はむしろ進んで引き取ったが、現在となると沈思黙考を要した。
「このわたくしのして差し上げられることの大きな一つとしてお受けいたしましょう」
「かたじけない。その子は眉目よい美しい子じゃ」
「さぞかし、さようでございましょう」
時子はねて横を向きたくもなる。
「ではしかと頼むぞ。万事は弥五左がよしなに計らう。阿紗伎も『北の方は必ずいやとは仰せられませぬ」と言うたから安堵するであろう」
清盛は逃げるように風の如く立ち去った。
── やがて時子に呼ばれて、六波羅居館の奥の宰領役の難波弥五左衛門と侍女頭の阿紗伎両人がまかり出てかしこまった。
「弥五左、そなたは万事を知りながらようも織ったの」
弥五左老は一言もなく平伏した。
「阿紗伎、そなたは『北の方は必ずいやとは仰せられぬ』と申したそうじゃの」
阿紗伎の背にも弥五左衛門の額にもしぼられる油汗がんじんだ。
「その姫はいつの誕生であったのか」
「知盛さま御誕生より七日ののちでございました」
阿紗伎が答えると、時子は残念がった。
「せめて一年遅れた誕生なら、この身の姫とも言えたろうに・・・」
弥五左、阿紗伎の両人また声もなく平伏した。その頭上に北の方の凛とした命令が降った。
「一日も早う、その姫をお連れいたすがよい」
── 清盛第一女昌子よしこは、こうして北の方御養いの姫となった。
2020/10/02