~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 『女 人 平 家 (上) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
慈 母 観 音 (四)
“久寿”の年号は近衛帝世を去られた翌年で、“保元”となる。
その二月に清盛北の方時子に男児出生、重衡しげひらと命名、母子健全。
時子の産後の身体も回復、晴れやかに機嫌のよいのを見届けた阿紗伎が、そのそば近く寄って少し身を固くして言った。
「いつぞや、かたくおいいつけになられし事を今日果さねばなりませぬ」
「何をじゃ」
時子が何をいいつけたのか思い出そうとする。
阿紗伎はそうなると言い辛くなる。すぐには口が開けない。
「阿紗伎、どこぞに殿の姫が生まれたと申すのか。思えばもうそろそろ、そのような事のありそうな頃よ」
「は、はっ」
阿紗伎は、自分が悪い事を仕出かしたように平伏して、
「あの、まだお生まれではございませぬが、いずれ近く・・・」
と言う。
「このたびも館の侍女かの」
時子の声はおだやかで落ち着いてはいる。もうこの点免疫性を帯びている。
「いいえ、それではございませぬ」
阿紗伎はそれを強く否定した。またもや侍女にお手が付いたのでは、監督不行届きの責任がある。
今度はそれではないので多少気が楽に報告出来るから、はっきり言う。
「六条殿の女房藤波局ふじなみのつぼねでございます」
「えっ、では摂関家の嫡子基実卿の近衛家に仕える局とわが殿が・・・」
時子は呆れた。政治的な交際でわが良人がしばしば訪れるのも当然ではあったろうが、その邸の女房との交際はやや行き過ぎだと思う。
当時はまだ権中納言の基実の邸が六条にあるので六条殿と通称されtが、正しい号は近衛家である。その父の忠通ただみちは現在摂政関白である。
「その藤波とやら申すのは・・・」
「はい、基実卿の北の方は大蔵卿藤原忠隆家の御息女、その御輿入れの際に御実家よ付いて参り近衛家奥を取り仕切り居りますなかなかの利発ものとやら・・・」
「そして美しくもあろうの」
「さあ、いかがでございましょうか、もう相当の年齢とも存ぜられます・・・」
── いかにも殿はものずき ── と言わぬばかりに阿紗伎は言った。
「そのそなたがなぜくわしく知ったのか」
「はい、つい先日、殿から『阿紗伎頼むぞ』とねんごろに仰せつかりました次第・・・・」
時子は唖然としたが、しばらくを置いて敢然と言った。
「平家の一族がふえることはめでたききざし、わが手許で育てましょう」
── やがて四月に藤波局の生んだ女の児が六波羅に引き取られ、時子を養母とした。
名は盛子もりこ、骨細の華奢きゃしゃな眉目よい姫だった。
基盛十七歳、宗盛十歳、知盛、昌子共に五歳、重衡、盛子共に当歳、一年に二人もふえる子を擁した時子は慈母観音だった。
「賑やかでいいのう、時子」
清盛は悠然と妻に言った。
2020/10/04