~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 『女 人 平 家 (上) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
禍 福 の 日 々 (四)
時忠は滋子の女院への出仕に姉も賛成で話が片付くと、ちょっと微笑して話題を変えた。
「姉上、基盛の不慮の死も無駄ではありませぬな、母として愛して戴いた姉上への孝行にはからずもなりましたぞ」
「えっ、なんのことかそれは?」
時子は不審だった。
「義兄上も今度は弱られて、基盛の死も父のわしの精進が足らなかったからじゃとさすがに歎かれて、この際、ふっつりあの女性との悪縁を切られたとのことで何よりです・・・それは義兄上は男振りも御立派、富も位階も高い、女が棄ててはおきますまいが、かつての敵将の妾を御寵愛とは義兄上の名誉にもかかわりますからな」
時子には青天の霹靂へきれきだった。
「えっ、ではあの常磐を!」
「おや、ちらとも御存じなかったのですか。これはしまった。なんと六波羅の者たち口がかたいな。おそれいった」
時忠は口をすべらして烏帽子の頭をかかぬばかりだった。
「姉上、けっして義兄上をお怨みあるな。事の起こりは常磐がわが児三人の生命を助けて貰うた男らしい義兄上に心惹かれてすがりつきたい気持ちに駆られたからとは推察出来るではありませぬか」
「で、このたびふっつり縁を切られるとは何を証拠に・・・」
「たしかにこの時忠保証つかまつる。という次第については昨日ひそかに義兄上からお頼みを受けたは──常磐との縁は切る。したが、あいにく女は懐妊の様子、生れた子は里子に出して育てさせたい。それら万端の始末は時忠引き受けてくれ頼むぞと──時忠万事心得ました。常磐身二つになるのを待って、やがて然るべきところに嫁がせましょうと談合ととのったからには姉上御安堵なされよ」
良人がこの義弟をそうした女出入りの後始末に適材適所と見込んで依頼したと、時子は合点がいった。
「姉上は生涯この事は、義兄上にそ知らぬふりをなされよ。その方がかえって義兄上に睨みが利くというもの──ではござらぬかな」
弟は如才なく笑った。
死の注意を受けるまでもなく、時子は良人の前で常磐のとの字を口にするのも、自分の誇りを傷つける気がしたから一切黙秘のつもりだった。
けれども、常磐と清盛については、一つだけはっきりと考えをつけていた。
それは、時忠が口にした常磐が身二つになれば、その子は里子に出すというが、万が一にも例によってこの六波羅の館へ連れて来られて、わが手許で養い育てるなどは、かたく拒絶する!という決意だった。
わが腹、さぬ仲とりまぜてもうそうとうの子だくさんの母だと時子は思っている。これ以後はもう外部からの持ち込みは締め切りたい。また自分も、もう子は授からずとも結構と思っている彼女だった。
── まもなく、時子の異母妹滋子は上西門院の御所に出仕、兄時忠が右少弁だったので召名めしなを少弁と戴いた。その出仕に持たせる装束その他は、清盛北の方の時子が姉の心づくしを見せた。
「滋子は基盛へ貰いそこねたが、その下の妹があるな。あれを宗盛の室に迎えてはどうか」
清盛が思いついて突然に言い出した。彼はどうでもわが子の妻を時子の生家から貰い受けようとする。
基盛は時子の腹ではないが、宗盛は実子である。時子末の異母妹郁子は宗盛より一つ上の叔母になる。だが清盛は熱心にその婚約を望んだ。
「滋子は女院へ出仕、郁子も宗盛の室とさだまれば、そなたの父も思い残すことはあるまい。時忠は必ず立身させてやる」
妻の実家への深い配慮に時子は良人へしみじみと感謝する。これで常磐などに手を出さねばまことに申し分ないわが殿と思うが・・・。
実行力に富んだ良人の清盛はさっさと事を運んで宗盛と郁子の婚礼をその秋、基盛の百ヵ日の後に挙げさせた。
十四と十五の新郎新婦。当時の感覚ではこの早婚は異例ではなかった。新夫妻には新しい居館も与えられ、宗盛の妻郁子は義兄の清盛と姉の時子を舅姑として心やすらかに見えた。
その事多かった年の暮れようとする頃、美福門院がまだ惜しまれる四十四歳で崩じられた。鳥羽天皇の寵姫、近衛天皇の母后で平家へ好意を持たれ、時子と清盛の縁を結ばれた方である。
時子はその御法事後、魚肉を絶って精進した。
2020/10/11