~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅴ-Ⅸ』 ~ ~
 
== 『女 人 平 家 (上) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
対 屋 の 姫 た ち (五)
まもなくの日、年長の昌子にだけ、特に時間のかかる「古今集」の講義をしていた伊行は、講義を終わって退出前に、時子に寝殿の廊に付属の出居でいと呼ぶ簡単な応接用の小間に招かれねぎらいの茶菓をすすめられた。茶といってもそれは宋船のもたらした茉莉花まつりか茶だった。清盛はそうした異国趣味の愛好者で、福原の別邸では宋服を身に付け紫檀の椅子に腰をおろしてこの茶を喫したりした。
伊行は唐墨や筆は手にしても、中国の茶は初めて口にして強い芳香に驚き、唐菓子の濃厚な味にとまどった。
「娘たちにはもったいないほどのお方から御指導いただき恐縮致して居ります。教え子の姉妹の学習について、なんなりとお気づきのことがあれば、ごようしゃなく仰せられませ」
時子は熱心な教育ママだった。
「まだお年齢ゆかぬ妹君方は、しばらく揃って読み書きの基礎づくりに御勉強専一で結構と思いますが、お上の一の姫(昌子)にはすでにいかなるものを学ばれるのが御身に備わる才能のお役に立つかが、傍からもうかがい知れます」
伊行は単に自分の専門を教授するだけでなく、教え子の才能を発見して育成させたい希望を持つ教育者の資質を持っていた。
「それはまたどうのような・・・・」
「あの姫は、絵心なみなみならぬお方とお見受けいたします。お傍にある『竹取物語』の挿絵を模写された幾葉かをお机の上に見て驚かされました」
「いつぞや、乳母が絵をおかきになるお遊びが一番お好きと申しますので、お習字をおろそかにしては困ると、わたくしは案じておりましたが・・・」
「平家の姫君が絵画にしぐれ給うもめでたきこと、絵の師をもお付けになられてはいかがにやと思われます」
伊行の進言に、時子は娘への観察の不覚を恥じてさっそく長女のために絵画の師を求めるとした。
それも無名の絵師ではなく、朝廷の絵所長官巨勢こせ有宗に頼んで巨勢派の優秀な門弟の老画家が昌子の絵画指南に西八条に日を定めて来ることになった。あえて老人の絵師を選んだのは、昌子も十二歳、万が一にも美男の若き絵師が手を取って教える接近から・・・恋が芽生えたり、誘惑があっては・・・と娘を持つ母らしい時子の配慮であった。
もっとも、どの科目の稽古にも必ず乳母や侍女が傍を離れず付いているのではあるが。
こうして西八条は五人の娘の教育に明け暮れするうち、初夏となり、福原の清盛が指図する大工事の兵庫港に防波堤の経島きょうがしまがほぼ竣工した。
2020/10/15