~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅰ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (中) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
藤 波 局 (四)
ところがこの美しき双生児の実母藤波局が、その年の牡丹の宴が開かれるその前日の朝、突然発病 ── 烈しい眩暈めまいで卒倒したのである。
医者を呼び、手当てをする大騒動で、ようやくいっときの失神状態から意識は覚醒したものn、盛子にとっては、乳母とも育ての母ともいえる大恩人の彼女の発病が不安で、とうてい翌六日六波羅に出かける気にはなれない。その朝も局の枕元につききりで動こうともせぬ盛子に、
「早う六波羅へお出ましになりませ。御衣裳のお支度は先日調えてございますに」
病人はしきりに気をもむのだった。
「病みついたそなたを置いて牡丹を眺めに出かけてなんとしよう。花は来年も咲くゆえ、そなたを今まで六波羅のその宴に伴おうとしても、人ごみに入ると眩暈いたすとついぞ行かなんだが・・・」
その口実でいちども盛子の供につかなかった藤壺局は白川邸で眩暈をおこしたのだった。
局が六波羅の宴に行くのを拒んだのは、北の方時子と顔を」合せるのを憚る心情倫理からだった。
「わたくしのこの病は御案じあそばしますな、今日の牡丹の宴は先日冷泉家へお輿入れの祐姫さまが徳姫さまと筝をお弾きにななりますというからには、御姉妹の間柄お越しにならねばあいなりませぬ。この藤波もこの病に倒れずば今日はひそかにお供に入って、陰ながら祐姫さまの近衛少将の北の方におなりのお姿を見たいと思いましたに・・・」
「まあ、それならこの間の露顕ところあらわしに供をいたせばよかった・・・」
「そのような御親族のお顔つなぎの御宴のお供ではあまりに目立ちます。今日はたくさんの客のなか、紛れていられましょうに」
こうまでものをはきはき言えるような病人ならと、ようやく安心してすすめられるままに盛子が牛車を六波羅に向かわせて到着した時には、もう牡丹園には筝の音が響き渡っていた・・・。
藤波の病床が気がかりの盛子は、心せかれて早目に六波羅を辞し去ったものの、白川の邸に帰った時は夕刻だった。盛子はまず藤波局の病床に急いだ。
「おいかがでございました、今日の御宴は」
待ちかねたように病人は問う。
「筝曲が始まったところゆえ、すぐに牡丹の庭に入ってみごとな曲を聞きました」
「御評判がよろしかったでございましょうね」
「でも・・・あちこちで人の囁く言葉は『今日のこの筝曲弾奏のあとにこそ、祐姫は挙式なさるべきだったに』とみな同じことを言い合って・・・祐さまは姉妹中で目立っていられたゆえであろうか」
九歳から摂政家に入った盛子は、自分と入れ替わりに平家の娘に納まった佑子との間は淡い関係だった。
「それで婿君の近衛少将の御評判はいかがでございましょう。挙式の早まったほど相聞そうもん(恋愛)のお睦まじさだったのでございましょうに」
「それとはちがう噂を今日初めて耳にしました」
盛子は隆房少将の人物についての悪評を、人々が憎悪と反撥で語り合うのを牡丹の宴で耳にはさんだのである。
「西八条の御幸のみかどのお眼に止まったと華やかなお噂があったに、みすみす好き者少将に生け捕られたとは不仕合せな祐姫、と申す声も聴きました」
「えっ! 帝のお眼に・・・」
病人の眼から涙がこぼれた。
── その夜半、二度目の発作で藤波局はこと切れた。
2020/12/04