~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅰ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (中) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
人 の 音 せ ぬ 曉 に (四)
西八条の対屋の姫は、寛子は嫁いでから末の典子が一人ぼっちとなって残るのみだった。
もう遊びにも学習にも仲間の姉妹は居ない。東の対屋は昼も妻戸を閉めたきり、西の対屋は典子だけ、美しく装われた洞窟のようなその対屋に典子は乳母の安良井や侍女を相手に暮らすのがいかにももの寂しい感じだった。
世尊寺夫妻も今は典子一人への教授に通うだけである。
ある日、伊行が読み書き、歌道の課目を典子に授けて帰る時、北の方から呼ばれて北の対屋にまかり出た。
「この頃は典子一人へのご教授にて御苦労をかけます」
と、ねぎらわれて、
「いえ、いえ、典姫もいずれお輿入こしいれ、それまでは怠らず勤めまする」
と伊行は奈々のことからも恩を感ずる時子には、誠意を尽くす心構えである。
「あの典子がどこへ輿入れ出来ましょう。あの幾つになっても手に負えぬ我がまま娘を誰が妻に向かえましょう。ともあれよき婿がね(候補者)あれば、西の対屋に共に棲ませて母のわたくしが見守らねばと考えています」
時子のすでに、以前あの大江広元をその婿取の候補者に内心考えてもいたが、それは佑子と相思の恋人とあって、すべて無惨に御破算になってしまった。
いま眼の前に末娘のために苦慮する時子を見ると、伊行はなんとか役立ちたいと思いめぐらすうちに、先日妻の夕霧から聞いた修理大夫信隆の娘殖子が父のために、よき後添いの北の方をけなげに求めるというのが頭の中に浮かんだ。
おそらく、そうした二人の子もある、四十八歳の信隆と十四歳の典子の組み合わせを、時子が承引しようとも思えぬ。まして修理大夫が先妻の遺児を連れて、西の対屋へ移り棲んで入婿いりむこになるなどは、あまりに笑止千万のことである。これはあくまで典姫が七条坊城の鶴の庭の藤原信隆邸へ輿入れせねばなるまい。
あまりにもこの話は北の方を笑わせるに過ぎぬが、まかりまちがえば御機嫌を損じるかも知れぬとあやぶんだが、伊行はこの平家の我がまま姫を引受けさせるには、ありふれた公卿の若き公達では出来得ない。それを清盛入道の権威で無理に押しつければ、必ず典姫の不幸になる。それなら信隆こそ典子を娘のように扱って愛らしきやんちゃな北の方として受け入れるかも知れぬ。
ともかく信隆の人物のおもしろき風格を信頼して、いちかばちか当たって砕けろと、伊行はともあれ時子の耳に入れる決心をした。
「ただいま思い浮かんだ人物を、典姫のお輿入れ先として北の方も御想像もなさらぬ婿君の候補者を申し上げます」
「おお、なにはともあれ、そうしたお人の思い浮かぶなら承りたい」
時子は膝を進める。次の間に控えた阿紗伎まで首をさしのべて気に逃さじとする。
「ではお許しを得て、いささかとっぴな御縁談を申し上げます。さりながらこの問題は御参考に申し上げるまでの事にて、その婿がねと考えるのはこの伊行の思案だけのこと、当人には一言もまだ申して居りませぬ。いま北の方が万一お気が進みましたら、当人にも申し伝えて取り計らいまする」
伊行は慎重で前口上が長い。
「その御当人はいかなる方か早う申されよ」
時子にうながされて、
「正三位修理大夫藤原信隆卿でございます」
「これは、これは、なにやらしきりと言いしぶられるからいかなる身分かと案じたに、正三位修理大夫とは結構、あのやんちゃな典子にはみごとな婿君よの」
北の方はほっとされたようで、阿紗伎も明るい顔である。
「官職と位階はそれでございますが、人物もまことに風雅にして大人たいじんの品格を備えて居られると、伊行には思われます」
「そうであろうとも、世尊寺殿の御鑑識は信ぜられます」
時子が上機嫌なので、そのあと伊行は困る。
「しかしながら、先妻の忘れ形見二児が居りまする」
「それはいたし方ない。白川殿の盛子も摂政家へは後添いで、さきほど寛子の嫁いだ基道がさぬ仲の子で居りましたもの」
だが盛子も幼かったが、その良人も若かった。
「信隆卿は四十八歳にて、子息十四歳、姫は十三歳、これは近く後宮の伯母君の局に出仕されまする」
「・・・・」
さすがに時子から何の言葉もなかった。
その時、阿紗伎が次の間から進み出た。
「おそれながら申し上げます。その藤原信隆さまこそ、典姫の婿がねにふさわしき方と思われまする」
── さすがに阿紗伎どのと伊行は感歎した。
2020/12/17