~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅰ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (中) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
典 姫 婚 儀 (三)
典姫と信隆の婚礼は、姫が十五歳となる翌年の早春と決定した。
早婚の時代ながら、典子が姉妹の中であまりに幼げなおくて・・・の未成熟な感じなので、ひとつでも年齢を重ねてからとの時子の配慮による。
「北の方は掌中の珠の小姫をお手離しなさるを一日のばしに遊ばす・・・」
こんな蔭口が侍女たちの間で交わされた。
けれども時子はそれだけではなかった。まつて典子だけは手許てもとに止めて婿取り婚で、わが館に置いて見てやらぬと不安であり、そのためにあの大江広元をその婿にと考えていたが、それがなんと佑子と相思の間柄とあって御破算になった・・・その広元が思いもかけず修理大夫信隆にわがまま娘の典子を貰う決心をさせるほど推奨してくれたらしいと知って、時子は胸を突かれる思いだった。じつはその蔭には冷泉北の方佑子の信隆を訪問した一件が大きな背景をつくっているのを時子は知らない。それを知る関係の当の信隆も夕霧も広元も、みな良識によって口がかたかったから・・・。
それで時子はいちずに広元に感謝した。彼女の気質として、その広元になんらかの形で酬いたかった。それとはなしに彼に酬いておかねば気がすまぬ。
さて、何をもって酬いるかと思案した。
── その頃の日、弟の時忠が姪の婚約への祝詞を述べに来た。
「あのやんちゃな小姫ちいひめが、なんと年齢をもかえりみず七条修理大夫が鶴でみごとに釣り上げましたな」
才子ではあるが、それだけに口軽い弟である。
「なんの釣り上げられたどころか、平家の娘など貰うのは真っ平とお断りだった。それとも知らずあの典子は鶴の邸へ輿入れすると喜び勇んでいるので、手が付けられず困り果てたところを、大江広元殿の口添えで修理大夫殿もようやくそに気になられて、めでたく婚約が調った次第」
「ホウ、漢学教授に参り居った、あの秀才を鼻にかけて小生意気なと評判の広元とか申す青二才が、七条修理大夫に口添えを・・・」
「そなたは、平家にあらずんば人に非ずなどと申しては世に憎まれるのも道理、広元殿は若い立派な学者、少納言局に仕官された折に漢学教授も辞退されて、その後まったく打ち絶えて居りましたが、典子の縁談への心づかいありがたいと思います。ついてはかつてこの館と御縁のあった広元殿を少しはよき官職にと思うが、どうであろう。ゆくゆくは帝の侍読じどくにもなられるような宮中での職はあの方にないものであろうか」
時子はそれを良人の清盛に頼むより、徳子が中宮になると共に現在その宮中の中宮しき権亮ごんのすけ(次官)になった時忠に頼むのが早道と思う。良人の清盛は太政大臣を辞しても世間にはいまだに大相国と呼ばれる程の大政治家、とてもそんなこまごました就職事務など頼めぬ。たとえ頼んだところで清盛は配下の誰かに命じるから事がひろがって困る。
「さあ、どこもかしこも目立つ官職には公家たちが眼の色変えての猟官運動で、目下空いた椅子は一つもないありさまながら、中宮職の官庁にかかわる範囲でそのうち必ず何かの職にありつかせましょう。その上でこの時忠がおいおいに引き上げます。ともかく宮中のなかの職務にまず身を置くことを計らいます。ほかならぬ姉上のお頼みなれば、しかと心得ました」
「さりながら、この姉の頼みごとは広元殿にはもとより誰にも他言無用、口をつつしんで下されよ」
時子は念を押した。あの広元がもし時子の計らいと知ったら、決然としてどんな官職でも拒むと思うからである。なぜなら広元と祐姫の恋を断ち切らせた心なき北の方として、広元にはどのようにも憎まれているかと推察するからである。
── 翌承安三年(1173)二月吉日を卜として典子は七条修理大夫と婚礼。その露顕ところあらわしの席の姉妹揃ったなかで、時子は特に冷泉北の方の佑子に頼み込んだ。
「折々は七条の邸を訪れて修理大夫北の方をお仕込み願いますぞ」
典子が素直に言う事を聞くのはこの姉にだけと母はよく知っていた。
2020/12/20