~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅰ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (中) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
春 の 象 徴 (五)
── その翌承安五年(七月改元、安元元年)の二月三日、世尊寺伊行が病死、東山長楽寺に葬られた。
この有名な能書家で国文学者の葬儀は遺言で質素に行われたが、かつて教えを受けた平家の姫君の中宮徳子下賜の供物くもつは霊前を飾り、准三后白川盛子、花山院北の方昌子、近衛殿北の方寛子は名代みょうだいが焼香、冷泉北の方佑子、七条修理大夫北の方典子は牛車を長楽寺門に止めて、本堂への長い石段を渡って水晶の数珠を指に合掌礼拝され、遺族の夕霧とその娘奈々いま中宮徳子に仕える右京大夫に哀悼の意を伝えて本堂を降りられる姿は物語めく絵のようであった。寺の境内に紅白の梅花盛りながらまだ春寒の日であった。
寺の門からの糸毛の車には冷泉北の方には汐戸が同車、七条北の方には安良井、この二輛の牛車は帰路をたどりつつ、やがて冷泉小路へと七条通へと別れる・・・。
その七条へ向かう車の御簾みすの中で安良井が北の方に告げた。
「今日のお葬式で大江広元さまのお姿をお見受けいたしました」
「亡き世尊寺さまとお親しいあのお方がお見えになるは当然なのに、お姿を典子は見落としてしもうて惜しいこと、祐さまはいかがであったろう」
「北の方お二方とも、おしとやかに御焼香にてお眼にははいりますまい」
公卿の夫人として気品を保っての焼香、きょろきょろあたりを見まわすはずがない。安良井たちお供はうしろの席に控えたので、故人の親友として端然と霊前の近くに居ならぶなかの広元を見出す余裕があった。
「広元さまには必ず祐さまの変わらぬお美しい姿がお眼にとまったであろうよ」
典子はそう思う。
「それはもう、冷泉、七条の北の方さまの御焼香にはみなの眼が集まりましたからには・・・」

同じ年三月善美を尽くした光明心院の工事成って、九日、青天、こく(十時)から盛大なる落慶らくぎょうの供養が行われた。
その日法皇、建春門院、中宮徳子のお成りあり、白川殿盛子以下姫たちがそれぞれ夫と共に。不参だったのは当時流行の疱瘡ほうそうに羅病した長女よし子と良人の花山院兼雅だった。
子息の重盛たち兄弟、清盛の異母弟教盛、頼盛、忠度たち一族と義弟時忠が、それぞれ北の方同伴で列したほかに、来賓には時の関白、大臣たちである。
その日綺羅きらを競う貴族夫人は、いずれも牛車の下簾したすだれの下から美しい衣裳の裾や袖を出した出衣いだしぎぬの女房車をつらねて、次から次に西八条に乗り込まれると、庭園の花がその風に早くもその牛車の簾をかすめて出衣の裾に散る風情は、絵巻物の展開するごとく・・・平家全盛の象徴そのものだった。
2020/12/26