~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅰ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (中) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
京 と 伊 豆 (三)
その年の六月十七日に白川盛子が急逝された。しばらく身体違和を覚えて典薬頭てんやくのかみ和気定成の灸治を受けるうちにわかにしくなられた。
今まで平家の姫たち六人は嫁いだ後も、いずれも健在だった。それが初めて一人世に亡き方が生じたのは、姫姉妹に深い哀傷を与えた。
九歳の幼妻で近衛家に嫁いだ盛子は、十一歳で未亡人、世を去ったのは亡夫基実と同じ二十四歳、嫁ぐのも、寡婦かふとなるのも、また死ぬのも姉妹よりすべて早々となされて女の生涯を終えられた。
その白川殿の館での霊前の夜伽よとぎ(通夜)に集まった中宮を除く四姉妹は、読経のはじまるまでの控えの間で語り合う。
「准三后のお位に立たれての御出世ながら、お心はさびしかったことと・・・血を分けたお子さまもおわさず」
そう低い声でつぶやくように言われるのは、亡き盛子の継子基道の妻の寛子だった。彼女は亡き姑の心境をいまにしてしみじみ察するのである。それは自分もかつての流産後ついに不妊の身となり、夫の基道が治部卿(治部省長官)顕信あきのぶの姫のもとに通って生ませた家実が近衛家の嫡子となり生母の実家で育っている。その事実は姉妹みな知っていたが、姉の盛子が姑として生存中は何かにつけて保護者だった。その頼もしき人を失った基道北の方は心細い限りであろうと、みなしんみりとさせられる。
「平家の姫は嫁いで後も実家さとの栄華を背に負うて、浮々と此の世の苦は夢にも知らで暮らすと人には思われましょうが、まことはわたくしたち人こそ」知らねそれぞれ女のあわれと悲しみを胸の奥には秘めるものを・・・」
年嵩としかさの花山院昌子のこの言葉は、不幸な疱瘡の痕を顔に残し、廊の方への善意は裏切られたという憂苦を経てこその女の歎きが込められていた。
「その思いは中宮さまとて同じことでございましょう。雲の上の御方とあっては、わたくしたちとちごうて中宮さまは今宵の夜伽などにお出ましにはなれず、たまさかの西八条へのおしのびのお成りのほかは、公式のお成りとなれば行列、供奉ぐぶやら警護とまことにさぞお窮屈でいらせられましょう」
これは喪主基道の妻の感慨だった。── そのお窮屈な生活の中にも、良人の天皇の典侍や内侍にひきつづいて皇子の生誕を見るのも、たとえそれは皇室のならいとは申せ、女性の身に嬉しい事ではないと ── 姉妹たちは深く推察している。ただそれを口に出すことをおたがい憚るだけである。
「思えば幼い頃、西八条の対屋でちんの雪丸、笠丸を相手にたがいに遊びたわむれたあの二度と返らぬ日がなつかしくてなりませぬ」
これは典子の感慨無量の声だった。
「あの雪丸は初め東の対屋に飼われて亡き盛さまが御寵愛なされたのを、盛さま近衛家へお嫁ぎのあと、典さまが白妙の房毛の雪丸が上品で可愛いから笠丸と取り替えたいと仰せられて・・・」
昌子はそれを思い出す。
「あらそのようなわがままを申しましたかしら・・・」
典子は鼻白んで、とぼけたが、昌子は言い張る。
「母君のお眼に入れても痛くない小姫の仰せゆえ雪丸を西の対屋へ差し上げました」
「まあ、まあ、幼い日に戻っての口争い、今宵ひつぎの中の盛さまもお笑いになるでしょう、それでこそ亡き方への夜伽となりましょう」
寛子が言うと、いまさらに盛子の早世が惜しまれて、しんみりと静まる。佑子が終始無言だったのは、あの雪丸を蹴殺したのは、良人隆房だったのを思い出したからである。
やがて ── 霊前の読経が始められる前に、寛子は喪主基道の妻として姉妹に先立って仏前に赴いた。そのあとを花山院、冷泉、修理大夫の北の方三姉妹が白川殿御方の霊柩安置の仏間にと夏の夜風涼しい廻廊を辿られるのを先導するのは近衛家の家司けいしである。
その廻廊の両側にも近衛家と松殿基房家の家従、侍女がならぶ。廻廊の軒にるらなる青銅の灯籠の灯の列と階下の白砂の庭の篝火かがりびの反射でそのあたり昼かと紛うなかを、指に数珠をかけて合掌してゆるやかに進む御姉妹の姿を見送った家臣、侍女たちの中から囁きが交わされた。
「なんと、亡き御方と冷泉北の方の面影のよう似通われることよ」
「平家のさむらいたちは姫君方を花になぞらえて、亡き白川殿方を“水仙花”、冷泉の方を“らん花”にたとえたと聞くが、まさしくその通りよ。あえなく世を早められし御方はあまりにも清き水仙花、蘭花の冷泉北の方は﨟たけてあでやかよの」
近衛家の今は亡きかつての上﨟女房藤波局と、壮年時代の平清盛との間に一卵双生児の平家の姫誕生の過去がかくも埋没したのは、生母の賢さにもあり、育ての母なる清盛北の方時子の大いなる温情でもある。
いま廻廊を経て平家姉妹の入らるる仏前には中宮徳子の供えられた葉は銀、花は黄金の蓮華一対が香烟のなかに燦然さんぜんと輝く。
その時、廻廊のきざはしのあたりが、ざわめいたのは亡き白川殿御方の父清盛入道と母時子が今宵の夜伽の悲しみの館に到着したのだった。
2021/01/06