~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (下) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
風 立 ち ぬ (十一)
その前日の上皇の西八条への御幸はきわめてひそかにお忍びの形だったので、館にも大袈裟な迎え方を控えよとの思召しの従い、時子も佑子もまた家臣たちもその日はの装束(略式)でお迎えした。
かつて十一歳の高倉天皇の御幸に謁見した佑子は十六歳の春の乙女だった。いまは冷泉隆房の北の方であり、すでに隆衡、隆重二人の公達の母としてよわいも二十五である。けれども天与の麗容は意にそわぬ結婚生活にもなお衰えず、乙女の日の美しさは心の悩みゆえに陰影ふかく、ただよう香もなまめくなかにあわれが添う・・・かつての少年帝のいま二十歳の青年上皇はひたとその姿に眼をそそがれて、
「おお、かつての乙女の頃、いま中宮の徳姫と共に筝を弾じたのを覚えておる」
とお声がかかった。その時の祐姫の印象は幾年経っても御心の奥にとどめていられたのだった。
佑子は九年も前のあの日の弾奏が上皇の御記憶にあるのが、あまりに思いがけなく、、なんとお答えしようかと言葉を探しまどううち、またもや上皇のお声があった。
「さても冷泉隆房中将は世にも果報の者よの」
佑子はもうあらゆる言葉を失い、頬にさっと紅を刷いてはじらい、一礼すると、御座所の前をたおやかに引き下がった。
母の時子がはっきりと知ったのは、上皇の記憶はあの日の筝の弾奏の音色ならで、十六の乙女祐姫の面影だったと・・・
それ故にこそ、乳母の小檜垣こひがきの進言もあって冷泉家へ入輿にゅうよが急がれたのであったが・・・。
── 謁見終わって上皇御座所の母屋を退出した佑子はただ一人、人眼を忍んで西の対屋への渡殿わたどのを辿って、かつてわが棲み馴れし対の居間へと入った。姫たちはみな嫁ぎ去って今は主もないところも掃除は怠らず、こと上皇御幸の日とて対の格子こうししとみもみな開かれて、ゆく春のそよ風が通っている。
今日ゆくりなくも上皇の仰せられた九年前の御幸の日にこの対屋から準礼装の五衣いつつぎぬの裳を引いて御座所に向かったのも、ありありと昨日のように思い出される。そしてその翌夜、冷泉隆房が義兄の花山院兼雅同伴で対のわが居間にいやいおうなしに押し入り・・・やがて“わが秘めたる恋”は無惨に踏みにじられた。
あわれ、恋する身とはなるなかれ幾夜むなしく泣き明かしたあの頃・・・もう忘れねばと忘却の彼方に葬りたいことが、今日またもやかくばかりわが身を襲う苦しさ。
あたりに誰一人いないその対の間に、返らぬ日の恋の亡骸を抱き締めて佑子がたたずむ時、
「まあ、ここにいらっしゃるとは存ぜず、あちこちお探しいたしました」
と息せき切って汐戸が現れた。明日は暁闇ぎょうあんの刻に良人の隆房が厳島へ供奉に立ち出るので、謁見後は早く帰宅せねばならぬ佑子だった。

厳島より上皇還幸の途上を福原に御逗留。四月八日夕刻還御かんぎょ。その月末二十九日に京の都を台風が襲って人家を吹き飛ばした。あたかもその二日前に、法皇の皇子以仁王もちひとおうの“平家討伐”の令旨りょうじを持った源行家が、伊豆の流人頼朝の許に到着した。
2021/01/11