~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (下) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
福 原 た よ り (四)
福原では八月十二日に皇居造営の工事がほぼ形を成した。ところがその五日後に遠き関東伊豆島では流人源頼朝が兵を起し、その地の代官を急襲、源氏再興の旗上げをしたという情報がまもなく六波羅に入り、騎馬の使者が福原に注進に駆け付けた。
折から清盛入道の山荘の大広間で新都経営の評定中の朝臣たちはこの報に驚かされたが、
「伊豆の流人頼朝とはいかなる者か」
と問う長閑のどかな殿上人さえあった。
それほど、二十一年前の平治の乱での敗軍の将源義朝の遺児、当時十三歳の兵衛佐ひょうえのすけ頼朝のことは、すでに忘れ去られた存在となっていた。
この事件はさっそく安良井が典子の耳に入れた。安良井は平治の乱で新婚間もなき良人を戦死させているだけに、よく知っていた。
「源頼朝、伊豆にて乱を起されました。その頼朝と申すは、平治の乱にて・・・」
と言いかけると、
「平治の乱、その最中にこの典子は六波羅で生れたのね」
「さようでございます。あの小六郎も生れました」
その小六郎には米の粉を乳に代えて与えても、典子には乳付けをした安良井である。
「その頼朝も生れたの?」
「いいえ、いいえ、もう十三歳の少年武将でございました。平家軍に敗れた父の義朝公が落ち行く先で不覚にも逆臣によってしいされたのち、さまようその佐殿を池殿の家臣弥兵衛宗清殿が捕らえて六波羅に連れますと、池の禅尼さまがわが子の家盛におもかげが似通うてあわれよと仰せられて、当時まだ御壮年の正四位太宰大弐あざいのだいにでおあわせし入道相国さまに敵将の遺児の生命いのち乞いをなされました。義理ある御継母へのお心づくしもあって、果報にもその佐殿、伊豆に遠流おんるでたすかりましたに・・・その平家への恩義も忘れてようも、ようも」
安良井はわが良人が遠矢で落命させられた源氏軍には怨恨深く、いま歯ぎしりをする。
「まあ! 父君は寛大でおおらかなお人柄とて、いつも裏切られてばかり、従三位頼政にも背かれ、いままた昔情けをかけられたその源頼朝にも・・・」
典子はそれゆえにわが父が悲壮な運命の英雄に思える。
「仰せの通りでございます。義朝公のしょう常磐の三人の遺児も御助命、下の牛若と申すは鞍馬の寺に入れられてのち、いずこかに出奔のよしなれど誰も気にとめず過ごしましたが、これではもしや弓矢を持って兄者人あにじゃびとの片腕に現れぬとも限りませぬの」
安良井は暗然と唇を噛む。
「母上はこのたびの伊豆の源氏の旗上げのいくさをなんとお思いであろう」
典子は立ち上がって奥の母の居所に急ぐと、もうそこには阿紗伎から委しく情報を告げられた時子が、ただならぬ様子の典子に、
「案じることはありませぬ。天下の権を握る平家には、いつなんどき敵が矢を放つかも知れぬとはかねて父君もお覚悟なされます。ましてや源平の争いは宿命と仰せられて落着き払っていられます」
ものに動ぜず、おだやかな母の言葉に、典子もやっと気が静まる。
その母の居間の廻廊から見渡す、はるかな須磨、明石の浦に、秋の潮が紺碧に堪えられて波もなく、淡路島がその向こうにうす紫に浮かぶのが、典子には美しくかつ何かもの悲しかった。
2021/01/16

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