~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (下) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
母 の わ か れ (四)
時子はそこに揃った四人の姫たちの顔を黙ってしばらく見詰めていた。姫たちも母の表情に日頃にないものを感じて、軽々しく口を開くことも出来なかった。やがて母が口を切った。
「そなたたちも知っていられようが、この度の北陸の源平の争いは平家に陽の射さぬありさま、まだこれからどのように平家武士の生命をみすみす棄てねばならぬかと胸の潰れる思いよ。さりながら亡き入道さまの御霊みたまに酬い参らすには最後の一兵まで戦い抜くと皆は覚悟して、やがては平家に運命の恵みがあるまで、それまではどのような艱難かんなん辛苦も忍ばねばならぬゆえ、万一の場合は手を空しくしてこの六波羅に居すわるより、いっそ入道さまのかつて遷都なされし福原へいったん軍の本拠を移し、西国を背景に陣容を立て直し、源氏を討伐いたすが賢しと宗盛以下いずれもの武将たちの評議じゃ。それはいつなんどきかわからぬが、姫たちもよう心得てみだりに歎くことなく、ふたたびわれら京に帰ってそなたたちに平家の勝利を告げる日をひたすら祈ってたもれ」
一同水を打ったようにしいん・・・としたが、典子が声をふるわせて言う。
「母君さま、その時はこの典子も福原へお供いたします。一昨年の遷都にも私は参りました」
「いえ、いえ、それはなりませぬ。あの折とは事がちがい今は戦の為に福原へ立ち退くゆえ。第一そなたたちは平家の娘ながら今は嫁ぎし婚家の者。源平の争いに平家は嫁いだ娘たちまで巻き添えにしたとあっては末代までの笑い草。そなたたちの婿君は鎧冑よろいかぶとは身に付けぬ公卿の官職にあるゆえ、戦争にはかかわりなきところに居らねばなりませぬ」
「では、建礼門院も帝も京都にお残りでございますか」
「帝と建礼門院は近く池殿に移られます。六波羅にて御守護いたし、平家京を退転の折は帝を奉じて参らねばなりませぬ。法皇さまにも福原に共にお移り戴くにより、従って摂政の近衛夫婦もお供いたすことになります」
摂政基通の夫人はこの座にいる寛子である。
「嬉しや、この寛子は福原へ供奉が叶いますか」
「おさまる御代の御幸の供奉とはちごうて、さまざまの苦労はあろうが、辛抱して貰わねばなりますまい」
京に残される三人の北の方は心細く胸が一枚の板のようになってうつむき言葉もない。
「それにつけても、典子にはたよる婿どのも世を去られたが、幸いさぬ仲の信清殿がまことにたのもしきお方なれば、信清殿にこの母の言葉を伝えてたもれ、『なにとぞ頼りなき典子と隆清をよろしゅう願う』と・・・」
そう言いつつ、今まで気強い顔を見せていた時子の眼がうるみ声もおののく。
母の溺愛をそそいだ末姫を残して京を去る時子は切なかったであろう・・・。次の間に控える阿紗伎は泣くをもらさじと打ち伏した。
2021/01/25