~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (下) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
明 暗 (四)
この一門の殿方のほかに数知れぬ戦死者が二千余人とか ── 越中前司盛俊などもその一人と聞きました」
と口をはさんだのは次の間に控える汐戸だった。
「その盛俊とやらは?」
典子が問うと汐戸がっや困ったように説明する。
「厳島の内侍が嫁ぎし六波羅武士でございます」
典子は思い出した。父清盛の厳島詣での折に寵愛を受けた美しい巫女だと。その人から生れた父の血を受けた姫を父清盛を葬る夜に初めて見たのを・・・。
「その姫は院(法皇)の御所に入られて、まもなく病で儚くなられました」
と汐戸はあっさりと言う。一語も言葉を交わさぬ異母妹だったが、平家のゆらぐ崩壊を知らずに逝ったのは仕合せだとさえ姉妹は思う。
そのとき、思いがけず信清が現れた。
「おお、これは冷泉北の方もおわして、よきところ、じつは母上に急ぎお知らせいたして御思案を儀にて御所より急ぎ帰りました」
そういう信清の顔には母とその姉君に深い同情が溢れていた。
「それと申すは、一谷にて御武運つたなく無念の戦死を遂げられし平家一門の武将の御頸おんくびを揃えて本日義経殿少数の部下を伴い入洛され、法皇御所へ平家の首を都大路に渡す(引きまわす)べき事を奏聞されしに、さすがに法皇さまも『平家一族は朝廷に仕えて久しい。その武将の首を都中に曝しまわるは遠慮あるべし』と仰せられ、摂政、左大臣、右大臣、内大臣に御諮問ありしに、いずれも『昔より大臣、公卿でありし人の首を引きまわした前例なし。ことに平家は先帝(安徳天皇)の姻戚、それは憚らねばなるまじ』と論じられしに、義経、範頼は『平家の首、大路を渡さねば父義朝の怨みは晴せず』と強く言い張るよしを、先刻禁中にて知り、あまりに武士の情けを知らず血気にはやる思い上がりの腹立たしさ、侍従としてお仕えする新帝のお袖にすがりて、その暴慢を抑えたくも帝はあまりに幼く、この上は母君、冷泉北の方の御姉妹寛姫を北の方となせる摂政にあくまで院に御進言の事、お願いなされてはと、それをまず母上に申し上げに駆けつけました」
義仲が亡ぶと、直ちに摂政は松殿の子息からふたたび近衛基通に戻されたのだ。
叔父や従兄弟や甥の生首が都大路を見世物になって引きまわされる! 佑子も典子も逆上するほどの苦悩を覚える。
「いまや鎌倉殿(頼朝)の側近として、かつては平家ともゆかしありし大江広元殿にこの暴挙をうったえ、頼朝公を動かして義経殿を制して戴きたしと思えど、京と鎌倉の遠さはいかんともなしがたく残念・・・」
「えっ、あの広元さまがいま鎌倉に!」
典子は絶叫した。信清は少年時代の学問の師が鎌倉の新天地に生涯を託して京を去ったことをその後知ったが、この時まで口にしなかったのだ。
その時、冷泉北の方は気を失われたように青ざめた顔を伏せておののいた・・・
2021/02/03