~ ~ 『 寅 の 読 書 室  Part Ⅵ-Ⅱ』 ~ ~

 
== 『女 人 平 家 (下) 』 ==
著 者:古家 信子
発 行 所:朝日新聞社
 
建 礼 門 院 (四)
かくして、その帰りしなに汐戸は送って出る阿波内侍に小声で聞いた。
「夜のおしとねその他は御不自由ないのでございましょうか」
「はい、大納言内侍の日野の姉君の許から運ばれました。それにさきほどの耳の遠い老女はもと女院の御所に仕えし女蔵人にょくどうど、女院さま西海に落ちられてより里に帰りましたが、このたび京へお帰りと聞いて米塩まで持参して自ら望んでお仕えいたして居ります」
女蔵人は雑務に従事の下級女官だがその志はたのもしかった。
御簾みすもあまりに古びて・・・明日あすにも冷泉、七条家よりお届けいたされましょう」
汐戸はこう言って吐息を洩らした。
── やがて二台の牛車は建礼門院の侘び棲居の夏草茂る所を出て洛中に入った頃はもう空に夕星ゆうずつの見える夏の黄昏たそがれれだった。
七条家に帰った典子の許に信清が待ちかねて居たように来て案じ問う。
「女院の世を忍ばれる御棲居はいかがでございましたか」
「あまりのことに口にも筆にも尽くされませぬ」
と、その惨憺たるありさまを告げて、
「あのまま、あすこにお置きしては気がかりで、夜も眠れぬと帰りの車の中で祐さまも仰せられました」
「それはいかになんでも、かつての御国母をそのようなところにお置きいたしては七条院(殖子)もお気がすみますまい。じつはさきほども建礼門院のこのたびのお棲居は心して計らうようと仰せつかりました」
典子はそれを聞いて、さぬ仲の娘殖子が少女の頃から心ばえすぐれていたのが今更にうなずかれた。
継母の姉君は先帝の母后、西海に平家と行を共にされる間に、殖子を生母とする尊成たかひら親王が新帝に即位された。そうした皮肉な間柄をいかばかりに心に労されているか、いま手に取るようにわかる。
七条院のお志に甘えて、信清どの建礼門院のお棲居なにとぞお計らい下されよ」
「仰せまでもなく配慮の限りを尽くしまする。吉田と申せばあのほとりにかつての花山法皇の御山荘なりし野河御所があるはずでございます。朝廷のお許しを得てその御所をつくろうていささかなりともお心安んじられるお棲居といたしましてはと考えます。久しき年月を経し御山荘とて手を入れねばなりますまいゆえ、しばらく御猶予願いて、それまでにただ今の所をさっそく雑色をつかわして草を刈らせ、垣、木戸など調えさせましょう」
そう言う信清は新帝の伯父君である。朝廷のお許しもいとたやすいと思うと、典子は継娘の殖子が新帝の母后であることを今は何よりの頼みにさえする。これも皮肉な立場だった。
その翌日、七条家から新しい御簾や几帳、それに供御くご(食膳)精進しょうじん菜食のくさぐさ、冷泉家の佑子からは水晶の数珠、墨染の衣と金襴きんらんの袈裟、法衣下の白絹小袖幾組か。かつて尼寺で幼い日を育てられた佑子は御出家の建礼門院の必要の品々をみごとに調えて送り届けた。
建礼門院は姉妹からの心のこもった贈物の数々を眼の前にして、
「西八条で共に育ちし祐姫、典姫あの人たちにこのような世話になろうとは思いもかけなかったに・・・」
と泣き濡れるのに阿波内侍も眼をしばたく。
── それにしても同じ姉妹の花山院北の方や摂政基通北の方からなんの消息さえないのは、没落の平家を実家とする妻としていま源氏の世の中に立たねばならぬ良人の立場に気づかいしてであろう。身も心も弱いこの姉妹もあわれである。
2021/02/14